日本大百科全書(ニッポニカ) 「バラカ」の意味・わかりやすい解説
バラカ
ばらか
Amiri Baraka
(1934―2014)
アフリカン・アメリカン(黒人)の詩人、劇作家、批評家。ニュー・ジャージー州生まれ。誕生名エバリット・リロイ・ジョーンズEverett Leroy Jones。ハワード大学退学後、空軍勤務。除隊後の1957年ニューヨークのグリニジ・ビレッジへ。アレン・ギンズバーグらビート世代の詩人サークルに加わり、本格的に詩作を始める。1958年白人女性ヘティ・コーエンHettie Cohenと結婚。ビート世代の前衛的な詩に影響を受けた独自の詩を収めた『20巻の自殺ノートの序文』Preface to a Twenty Volume Suicide Note(1961)で本格的に文壇デビュー。1960年キューバ訪問の際、芸術は政治的でなければならないと痛感。革命家を目ざす黒人青年詩人が白人のアメリカを象徴する白人女性に殺される戯曲『ダッチマン』Dutchman(1964)がオフ・ブロードウェイで上演され、オービー賞を受賞、一躍注目をあびる。1960年代の一連の人種差別的できごとや事件を経験するなかで、ビート世代の白人文化を拒絶、黒人民族主義者となりつつあったが、1965年のマルコム・エックスの暗殺が決定的な契機となり、ヘティと離婚、拠点をハーレムに移し、名前もイスラム的にイマム・アミール・バラカImamu Ameer Baraka、のちにアミリ・バラカと改名。黒人女性シルビア・ロビンソンSylvia Robinsonと結婚。ブルースとジャズを基にした、完全に黒人独自の詩を探求した。1970年代には偏狭な黒人民族主義を拒否して、マルクス主義を信奉するようになり、第三世界に目を向けつつ世界の革命を目ざす社会主義者となる。1980年の「伝統の中で」In the Traditionは、マルクス主義と黒人の口承伝統、音楽の伝統とを結び付けて、まったく新しい形式をつくったマルクス主義ジャズ詩である。1980年代には黒人民族主義特有の性差別主義をも超えた。このように、バラカと彼の作品の変化は、1940年代以降の黒人美学の進展とぴったり平行しているが、多作な彼の全作品は、ことばに、またことばで革命を引き起こすことに捧げられている、といえる。
[佐川愛子]
『リロイ・ジョーンズ著、上林澄雄訳『ブルースの魂――白いアメリカの黒い音楽』(1985・音楽之友社)』