幾何学基礎論(読み)きかがくきそろん(英語表記)foundation of geometry

日本大百科全書(ニッポニカ) 「幾何学基礎論」の意味・わかりやすい解説

幾何学基礎論
きかがくきそろん
foundation of geometry

幾何学の基礎をなす公理間の相互の関係を詳しく検討することによって、幾何学の数学的構造を明らかにしようとする試みをいう。ユークリッドの『幾何学原本』(『ストイケイア』)にある第五公準平行線公理)への疑問は、1830年前後の非ユークリッド幾何学の発見によって終止符を打たれた。その後リーマンは空間概念の拡張である多様体を定義し、今日リーマン幾何学とよばれる幾何学を創始した。この幾何学はユークリッド、非ユークリッド両幾何学を包含した、より一般性をもつ幾何学である。また、クラインエルランゲン目録において、一つの変換群があるごとに一つの幾何学が対応することを示して、幾何学が多数存在しうる理由を基礎づけた。たとえば、アフィン変換で不変な空間の性質を調べる幾何学としてアフィン幾何学が誕生し、また、射影幾何学に対応する変換群として射影変換群の概念も明確になった。このように新しい幾何学の発見が続く一方で、ユークリッド幾何学そのものへの反省も生まれてきた。

[立花俊一]

ヒルベルトの幾何学基礎論

ヒルベルトは『原本』における定義、公準を根底から考え直し、公準間の相互関係を詳しく検討するという幾何学の新しい研究分野を開拓した(1899)。『原本』は23個の定義、5個の公準、5個の公理から出発している。ここでの公理は「全体は部分より大きい」「同じものに等しいものはまた互いに等しい」というような数学一般についての命題であるから、以下の説明からは省く。定義は用語の説明で、たとえば「点とは大きさのない位置である」「直線とは幅のない長さである」のように始められている。ここで第一の問題は、このようなあいまいな定義をもとにして建設された体系はいかに論証が厳密であっても不確かではないか、という点である。次に、公準(現在は公理とよばれている)についての疑問である。『原本』では公準についてなんの説明もなされていない。それまで公準は、証明する必要のない明白な事実と解釈されていた。しかし、であるとすれば幾何学はユークリッド幾何学ただ一つしか存在しえないということになり、他の幾何学が存在しうることと矛盾してしまう。そこで公準をどう解釈するかが第二の問題となる。ヒルベルトはこれらの問題を解決するために「無定義」という概念を創始し、公準とは無定義要素と無定義関係の間の約束とした。点、直線、平面は無定義要素であるから、これらをかりにいろはにほへと名づけてもよい。また「通る」「上にある」「合同」は無定義関係であるから、これらをそれぞれあいうえおかと書いてもよい。すると、たとえば、「2点を通る直線はかならず一つ存在する」という命題は「二つのいろあいするはにはかならず一つ存在する」となる。公理は記号いろはにほへあいうえおかなどについての約束とし、公理系で述べられた約束を守って論証によってこれら記号の間の関係を調べていくのが幾何学であるとした。記号それぞれの意味は定めてないから人によって自由なイメージをもちうるが、公理によって互いに束縛されている点だけを問題とすればよい。いろはに……のかわりに点、直線……ということばを用いるのは、それによってイメージがもちやすくなり実用上便利であるからにすぎないとする。

 また『原本』では5個の公準から出発して論証のみを用いて幾何学を展開したことになっているが、詳しく調べてみると、論証だけでなく図に頼って議論を進めている部分もある。そのような厳密さに欠ける問題点をなくすために、ヒルベルトは、(1)8個の命題からなる結合の公理、(2)4個からなる順序の公理、(3)5個からなる合同の公理、(4)1個の平行線公理、(5)2個の連続の公理を、無定義要素と無定義関係の間の約束として公理系に採用した。そして、この公理系によって初めて、『原本』で扱った幾何学が本当に論証の科学になることを示した。さらにヒルベルトは、公理が互いに矛盾がないこと、互いに独立であること、公理系が完全であること、を要請し、上述の公理系についてそれらを証明した。ここで完全とは、公理系の用語で述べた幾何学の命題はかならず正否が判定できることをいう。ヒルベルトのこのような論法は、以後幾何学のみならず数学の他の部門にも適用されて、数学基礎論の発展にも大きく寄与した。

[立花俊一]

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改訂新版 世界大百科事典 「幾何学基礎論」の意味・わかりやすい解説

幾何学基礎論 (きかがくきそろん)
foundation of the geometry

純粋な論理体系として幾何学を構成することを幾何学基礎論という。これが完全な形で実現されたのはD.ヒルベルトの有名な著書《幾何学の基礎Grundlagen der Geometrie》(1899)においてである。しかしながら,その源泉はそれより2000年以上も前に著されたユークリッドの《ストイケイア》にある。この著作は,古くから知られていた図形についての多くの知見を集大成して一つの学問体系にまとめあげたものであるが,これはプラトンによる次の思想の上に成立している。図形は直観的に認識されるものであるが,直観はしばしば客観性を欠くので,明確にいい表された定義や公理の上に,直観を排して厳正な証明によって一貫した論理体系としての幾何学を構成しようという思想である。《ストイケイア》は,まず点,直線,円などの定義definitionを述べ,続いて〈任意の2点は直線で結べる〉のような図形についての五つの基本性質を公準postulateとしてあげ,また〈同じものに等しいものは互いに相等しい〉のような量の相等についての九つの基本事項を公理axiomとしてあげる。そして,これらの定義,公準,公理より出発して順次に論理的推論によって,直観的知見を定理として導き出す。このようにユークリッドは,われわれの空間的観察の直観的基礎をまず書きあげ,それらを自明の真理として容認することを要請し,それ以後は直観によらずまったく論理的に幾何学を組織することを意図し,それをみごとに実行したのである。実際,《ストイケイア》は永きにわたって学問体系の典型とされ,偉大な知的所産として,西洋の科学の発展に大きく貢献した。しかしながら,19世紀の前半に非ユークリッド幾何学が成立し,その後半には実数の基礎についての批判が盛んになるに及んで,《ストイケイア》にも論理的欠陥があることが気づかれてきた。例えば,そこでは直線上の点の順序,すなわち“間にある”という概念や,図形の運動可能性などが暗々裏に仮定され,直観的に自明なこととして証明の中に密輸入されていることが指摘された。そして19世紀後半にはユークリッドの欠陥を補う研究がパッシュM.Pasch(1843-1930)らによって行われた。これらの先駆的研究の後,ついにヒルベルトによって,ユークリッド幾何学の完全な公理系system of axiomsが与えられ,それが純粋な論理体系として完ぺきな形で構成されたのである。

 《ストイケイア》における定義をみると,その中には,円の定義のように推論で有効かつ本質的に用いられているものもあるが,点や直線の定義のように推論でその内容が全然効いていないものもある。このことより,ヒルベルトは,幾何学では点や直線はどんなものであるかは問題でなく,これらに対する“結ぶ”“交わる”などの操作に関する命題間の論理的依存関係だけが問題であるという見解に到達した。このようなわけで,ヒルベルトにあっては,点や直線は定義の与えられない無定義術語となり,それらは公理系の相互的関連によって初めて意味をもつものとなった。したがって,公理も自明の真理としての意味はなく,単に理論展開のための仮定にすぎなくなった。このような立場に立ったヒルベルトは《幾何学の基礎》を次のように書き始める。まず〈3種類のものの集りを考え,第1,第2,第3の集りに属するものをそれぞれ点,直線,平面という〉とし,続いて〈点,直線,平面をある相互関係において考え,これらの関係を“の上にある”“間”“合同”“平行”“連続”などの言葉で表し,そして,これらの関係の正確で数学的に完全な記述は幾何学の公理によって行われる〉と述べ,その後に結合の公理(8個),順序の公理(4個),合同の公理(5個),平行の公理(1個),連続の公理(2個)をあげる。このようにヒルベルトは,証明の中からはもちろん,公理や基礎的概念の中からも図形的直観を完全に除き,徹底的に論理的立場に立ってユークリッド幾何学を組み立てたのである。ヒルベルトのこの方法は,その後数学の多くの領域で広く試みられ,その結果として,数学とは無矛盾という条件のみを要求して仮定から形式的に結論を導く抽象的な理論で,物理的真理性を問題とせずに論理的整合性を追究する学問であると考えられるようになった。これが現代の数学を圧倒的に支配する思想で,公理主義axiomatismの立場といわれているものである。これによって数学は原理的に自然科学とはっきりと区別されるようになり,例えば,ユークリッド幾何学も非ユークリッド幾何学も数学的にはまったく平等ということが確認された。なお,アフィン幾何学,射影幾何学についてもよく組織だてられた公理系が与えられているが,非ユークリッド幾何学については特別の場合を除き整備された公理系は知られていない。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「幾何学基礎論」の意味・わかりやすい解説

幾何学基礎論
きかがくきそろん
foundation of geometry

ユークリッドの平行線公理に対する反省から,非ユークリッド幾何学が生れたが,一方では,ユークリッドの『原本』の論理性を再検討する必要が起り,「幾何学を公理から出発して,論理的に矛盾なく構成するには,どのような公理系を採用すればよいか,ある公理系をとることによりどのような構造の幾何学が得られるか,それらの異なった幾何学の相互関係はどうなっているか」などについての検討が進められた。このような研究部門を幾何学基礎論という。 19世紀の終りに,集合論に関する逆理が発見され,数学の理論構成に対する反省が起ったが,このとき D.ヒルベルトは,公理主義あるいは形式主義による数学の建設を考え,この危機を救おうとして『幾何学基礎論』 (1889) を著わした。これは同時に,ユークリッド幾何学の公理系に対する吟味の役割を最も徹底して行なったものとして知られる。

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世界大百科事典(旧版)内の幾何学基礎論の言及

【数学基礎論】より

…与えられた形式的体系について,証明論の究極の目標は〈矛盾に至る証明はその体系内ではありえない〉ことを証明することである。さかのぼって,ヒルベルトは《幾何学基礎論》(1899)でユークリッドの《ストイケイア》の欠陥を補ってユークリッド幾何学の完全な公理系を与え,それらの公理の独立性と公理系の無矛盾性を証明した。しかし,その証明は結局実数論の無矛盾性に帰着させるもので,〈実数論が無矛盾ならば,ユークリッド幾何学もまた無矛盾である〉という相対的無矛盾性relative consistencyである。…

※「幾何学基礎論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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