個体の生活の維持や,類の再生産に向けられた人間の生活の持続的・反復的なあり方をいう。古くから,美的・創造的な行為との対比において論じられてきた。今日〈日常性に埋没してはいけない〉等といわれるように,消極的な価値とされることもあり,また〈日常性を重視せよ〉といって,空理・空論を避け,生活に根ざした観点を指す積極的な価値を担う場合もある。
日常性が,それを生きる人々にとって耐え難い無意味な宿命であるか,それとも生き生きとした充実感を伴うものであるかは,それぞれの時代・社会の文化の構造に依存している。したがって,今日の日常的な生活のあり方を総体として理解するためには,第1に,さまざまな社会において日常的な〈俗なるもの〉と意味的に対立しつつも相補的な関係にある非日常的な〈聖なるもの〉の意義,第2に,近代(西欧近代)における生活領域全体の〈合理化〉,すなわち日常的・現世的な生活の意味喪失(ニヒリズム)の問題を把握する必要がある。
(1)比較宗教学,民族学によれば,宗教の特質は〈俗〉なる日常性と対立する〈聖〉なるものの存在に求めることができる。M.エリアーデはこの二元的構造に着目して,原始宗教からキリスト教にいたるさまざまな宗教において〈聖〉なるものが具体的なシンボルや事物に現れる多様な形態hierophanyを論じた。〈聖〉なるものは,〈俗〉なるものとの弁証法的な運動をとおして,日常の生活を秩序づけ,また個体の生や死,個と共同体との関係に有意味な表象を与えるものである。
古来の日本の文化についても同様の構造を指摘することができる。そこにおける日常生活の秩序を理解するために〈ハレ(晴)〉と〈ケ(褻)〉の概念が用いられる。民俗学の研究によれば,神道,仏教によって〈ケ〉=穢れとされる以前には,〈ケ〉は生命力,生気を意味した。そして,出産,厄年,死等の機会に日常生活の陥る危機が〈ケガレ〉(ケ枯レ),そこからの回復が〈ハレ〉であったとされる。つまり,日々の生活を支える活力=〈ケ〉は,喪失と回復のサイクルを経ることによって不断に維持,更新されると説明される。
(2)このような日常生活を裏打ちする〈聖/俗〉〈ケガレ/ハレ〉の論理を介して人類が確保してきた生=時間の意味づけ,共同体=空間の表象を,近代世界はその〈合理化〉の過程をとおして徐々に喪失してきたといえよう。17世紀ころの西ヨーロッパを中心とする資本主義的精神の誕生を論じたM.ウェーバーによれば,当時における資本主義勃興の引き金となったのは,勤勉,節約を旨とする人々の禁欲的な日常生活の組織化であるが,これは元来,救済が不可知であるとするプロテスタント(とくにカルバン派)の教義から生じた宗教的態度であった。しかし,この宗教的態度がそのまま資本主義の精神(エートス)であるわけではない。資本主義の展開の過程でそれは当初の宗教的意味を失い,単なる利潤のための勤勉,節約へと形骸化したのである。ウェーバーは資本主義の進展に伴って,従来の神を頂点とする日常世界の超越的な意味づけが希薄になり,消滅し(〈脱魔術化〉),それに代わって,計算(予見)可能性,操作可能性を旨とする形式的な〈合理性〉が生活世界全体に貫徹すること,相対主義とニヒリズムが近代の合理的精神の宿命であることを指摘したのである。
以上の(1)(2)の議論から,日常的・世俗的な生活の様相,意味はとりわけ非日常的なものとの関連に依存しており,それぞれの社会の文化的・歴史的背景に応じて異なったものであることが理解される。人々の日常生活の意味に関するこのような経験主義的見解が定着しはじめたのは20世紀に入ってからのことであるが,これによって最も手痛い打撃をこうむり,深刻な自己批判を迫られたのは,(デカルト以来の)合理主義哲学であった。というのは,従来の合理主義的哲学は,日常的・世俗的な生活態度に対する理論的・超越的な態度の優越をア・プリオリに前提し,要請していたからであり,文化についての経験主義とは相入れないものであったからである。フッサールの現象学は,この二律背反を克服すべく,超越論的な世界定立以前の日常的な人間と世界の交わりにさかのぼって,理性(哲学)に新たな基礎づけを見いだそうとするものである。ここから,〈間主観性(共同主観性)〉という新しい概念が生み出されたが,これに関連して日常世界における人間存在のあり方を(批判的に)論じたものとして,ハイデッガーの〈ひとdas Man〉の議論が名高い。
このように日常性は,人文・社会科学の主たる学際的テーマのひとつとなっている。また近年,歴史学が隣接領域の成果をもとり入れて展開している社会史研究によっても,さまざまな時代,文化における日常性の具体的な様相が解明されつつある。このような日常性への関心の高まりの背後には,社会生活のあらゆる局面で人間関係の組換えを引き起こす世界の合理化の趨勢が日常生活のレベルにまで直接及ぶようになるに伴って,われわれの具体的な生活の意味づけが(少なくとも従来いわれてきた意味においては)見失われつつあるという時代状況があるといえよう。
執筆者:山本 泰
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
日々の労働、消費、家族生活など、人間の生存と社会の維持にとって基本的な意味をもつ定常的、反復的な生活過程の特性をいう。一般論としては「非日常性」に対比される概念であるが、思想史的には、しばしば美的、芸術的な創造性(あるいは創造的な活動)との対比において問題とされてきた。あるいはまた、聖に対する俗として、ハレに対するケとして、遊びや祭りに対する労働としてとらえられる場合も少なくない。日常性を離れて人間の生活はありえないが、反面、日常性はその性質上、保守的、現状肯定的な傾向をもつ。ここから、日常性に対する両義的な価値判断が生じ、一方で「日常性への埋没」が批判されるとともに、他方で「日常性の重視」や「日常性の復権」が説かれることになる。しかし近年、そうした価値判断をいちおう保留して、日常性(あるいは日常生活)そのものの構造や意味をさまざまの学問領域から検討しようとする傾向が強まりつつある。
[井上 俊]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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