フランシュ・コンテ(読み)ふらんしゅこんて(英語表記)Franche-Comté

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フランシュ・コンテ」の意味・わかりやすい解説

フランシュ・コンテ
ふらんしゅこんて
Franche-Comté

フランス東部の歴史的地域名、旧州名。中心都市ブザンソン。現在も行政地域名として用いられ、オート・ソーヌ、ドゥージュラの3県の範囲に相当する。面積1万6202平方キロメートル、人口111万7059(1999)。セーヌ川ソーヌ川、ドゥー川上流の高地地方で、ジュラ山脈を境としてスイスと接する。ケルト時代にスクァニイ人が居住していたが、ローマの支配下に入り、ついでゲルマン民族移動の影響を受け、ブルグント王国、さらにフランク王国に吸収された。9世紀にブルゴーニュ公の管理するブルゴーニュ伯領となり、915年、ブルゴーニュ公の二男ユーグ・ル・ノアールHugues le Noir以来、ブルゴーニュ伯家が当地方を領有した。名称は、公家に対する上納金を「免除された伯領」の意味で、14世紀に文書に現れる。1477年ハプスブルク家領となり、1548年スペイン王領に継承された。フランスは三十年戦争期の10年間(1635~44)、フランドル戦争(1668)、オランダ戦争(1674)の3回にわたって占領し、1678年のナイメーヘンの和約によって、最終的にその領土に吸収された。この地方は山林地方で、中世以来、製材、家具製造と酪農を主産業とし、岩塩特産とするが、近代に入って精密機械工業、19世紀末からはプジョーの自動車工業がおこった。

[千葉治男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フランシュ・コンテ」の意味・わかりやすい解説

フランシュコンテ
Franche-Comté

フランス東部の地域 (レジオン) 。 1790年にジュラ,ドゥー,オートソーヌの3県に分割。かつては北をロレーヌ,西をシャンパーニュ,ブルゴーニュ,南をブレス,ビュジェー,東をアルザスおよびスイスで限られる広大な地域に及び,首都はブザンソンであった。ベルダン条約によってロートリンゲンの一部となり,879年アルル王国,次いで 1034年神聖ローマ帝国に併合された。 1382年からバロア朝下ブルゴーニュ公国に併合されたが,1477年ブルゴーニュ公シャルル (豪胆公)が戦死するやシャルルの娘マリとマクシミリアン・ドートリッシュ (のちの神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世 ) との結婚によってハプスブルク家に移り,1674年ルイ 14世が征服,78年ナイメーヘン講和により,フランス王国に併合された。面積1万 6202km2。人口 109万 7300 (1990) 。

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