細菌学者。仙台藩士佐藤信の子として生まれ、幼名は直吉。1878年(明治11)母の生家で藩医の志賀家に入り、潔と改名。1896年12月帝国大学医科大学を卒業、大日本私立衛生会の伝染病研究所、北里柴三郎(きたさとしばさぶろう)所長の門に入った。1897年12月「赤痢病原研究報告第一」を発表、これが赤痢菌属に関する最初の論文であり、翌1898年、その要点をまとめた論文(ドイツ語)を発表、世界の細菌学専門書はこれを掲げた。1899年、伝染病研究所の内務省移管により、北里は所長に、志賀は内務省技師伝染病研究所第一部長となった。1901年(明治34)ドイツに留学、同年、コッホが委員長を務めた赤痢菌調査委員会は、赤痢菌を一名「志賀‐クルーゼ菌」と命名した。なお現在、赤痢菌の学名は発見者志賀にちなんでShigella dysenteriaeという。
1901年10月、志賀はフランクフルト・アム・マインのエールリヒに師事、以後、生物化学、免疫学、化学療法を研究した。そしてマウス体内のアフリカ睡眠病トリパノソーマを殺滅する色素類の研究で、ついにベンチジン系赤色色素の治療効果を証明、これをトリパンロートと命名し、エールリヒとの共著論文で発表した(1904)。化学療法はここから始まる。1905年帰国、医学博士の学位を受け、1912年(大正1)ふたたびヨーロッパに渡りエールリヒの下で研究、帰国後も伝染病研究所で活動したが、伝染病研究所の文部省移管に際して北里所長と行動をともにして辞職し、1914年北里研究所創立とともに第四部長となった。1920年慶応義塾大学医学部教授となったが、同年、朝鮮総督府医院長・京城医学専門学校校長兼任となり、以後、京城帝国大学教授、同医学部長、同総長を歴任し、1931年(昭和6)退任、東京に戻った。1936年錦鶏之間祗候(きんけいのましこう)(勅任官待遇)となり、1944年文化勲章受章、1948年(昭和23)日本学士院会員となった。ほかにイギリス王立熱帯病学会名誉会員、パスツール研究所賛助会員、ドイツ学士院自然科学会特別会員、ハーバード大学名誉博士号などの栄誉を受け、郷里仙台市の名誉市民に推された。著書には『細菌学及免疫学』(1923)、『貴洋翠荘閑話(きようすいそうかんわ)』(1950)、『ある老科学者とせがれとの対話』(1953)、『或(あ)る細菌学者の回想』(1966)などがある。なお、土井晩翠(つちいばんすい)とは中学生時代からの親友であり、志賀が学士院会員に選ばれたとき、晩翠は「三日のあやめ 十日のしょうぶ 何だ今頃(いまごろ)へぼなすび」の色紙を贈って祝福した。
[藤野恒三郎]
細菌学者。仙台藩士佐藤信の次男に生まれる。1886年東京にでてドイツ語学校に学び,翌年大学予備門に入学,この年母の生家志賀家を継いだ。96年東京帝国大学医科大学を卒業後,直ちに北里柴三郎の伝染病研究所に入り,細菌学・免疫学の研究に従事し,赤痢の病原の研究を開始した。折から赤痢は関東地方に伝播して,東京でも空前の大流行となった。この罹患病者の糞便中から一種の杆菌を発見,これを赤痢病原菌と断定し,97年12月細菌学雑誌に発表した。この発見者としての栄誉のため現在赤痢菌属は,彼の名にちなんでシゲラShigellaと命名されている。1901年から05年までドイツに留学。フランクフルト・アム・マインの実験治療研究所でP.エールリヒについて生物化学,免疫学を研究し,さらに11年ローマで開かれた万国結核予防学会に出席の帰途,ふたたびエールリヒのもとで半年ほど結核の化学療法の研究に従事した。帰国後も伝染病研究所で腸内伝染病,結核治療の研究のほか,脚気,発疹チフス,癩などに関して業績を残した。14年内務省伝染病研究所の文部省移管に際して,北里と行を共にして辞職し,新設の北里研究所に移った。19年朝鮮総督府医院長,京城医学専門学校教授に就任し,同校長をへて,25年創設された京城帝国大学の初代医学部長となり,ついで同大学総長に任ぜられた。44年文化勲章を受章。
執筆者:松田 武
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明治〜昭和期の細菌学者 京城帝国大学総長。
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(中山茂)
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1870.12.18~1957.1.25
明治~昭和期の細菌学者。宮城県出身。東大卒。伝染病研究所に入り,北里柴三郎から細菌学を学んだ。1897年(明治30)27歳の若さで赤痢菌を発見して世界的な名声を得た。1901年フランクフルトの実験治療研究所のエールリッヒに師事し,04年に「トリパノゾーマ病の化学療法」を発表した。最初の化学療法剤として知られている。29年(昭和4)京城帝国大学総長に就任。44年文化勲章受章。
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