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デンマーク出身のオルガン奏者,作曲家。祖先は北ドイツの出身とされる。1668年リューベックのマリア教会のオルガン奏者となり,終生この地位にあった。同教会で以前から行われていた世俗的性格をもつ音楽会〈アーベントムジーク(夕べの音楽)〉を続け,オルガン演奏のほか,合唱やオーケストラも含めた大規模なものに発展させた。彼の作曲した約90曲のオルガン曲はコラールに基づく作品,シャコンヌ,パッサカリア,カンツォーナ,フーガ,トッカータなどを含み,その多くが北方の音楽家らしいいくぶん暗い幻想的な楽趣に彩られている。コラール前奏曲《アダムの罪によりすべてそこなわれぬ》はそうした彼の作風をよく表している。また100曲余のカンタータを残しているが,J.S.バッハへと続くプロテスタント教会カンタータの重要な一環を成している。バッハは彼の演奏を聴くためにアルンシュタットから400km近く離れたリューベックを訪れた。
執筆者:後藤 暢子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ドイツ・バロック期の作曲家、オルガン奏者。北ドイツ・オルガン楽派を代表する巨匠として若きバッハに決定的な影響を与えた。おそらく北ドイツ、ホルシュタイン地方のオルデスローエに生まれ、ヘルシンボルクとヘルシンゲールのオルガン奏者を経て、1668年リューベックの聖マリア教会オルガン奏者となり、1707年5月9日に没するまでそこにとどまった。前任者フランツ・トゥンダーによって1648年に始められた教会音楽会「夕べの音楽」をクリスマス前の五つの日曜日に集中させ、その名声を高めた。そこで演奏された声楽作品はイタリアの影響が強く、純ドイツ的なオルガン曲と好対照をなしている。オルガン曲は、足鍵盤(けんばん)を豪快に用いた幻想曲に特徴がある。『トリオ・ソナタ集』(ハンブルク、1696)などの室内楽曲も残っている。
[樋口隆一]
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出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
…1700年ころハンブルクの牧師ノイマスターはカンタータのための歌詞を創作しはじめたが,以来,創作詞に基づくレチタティーボとアリアをふくむことが新しい型の教会カンタータの特徴となった。音楽的に新型カンタータとほとんど変わらない重要な作品を残した人としては,ブクステフーデやJ.パッヘルベルらがあげられる。バッハの教会カンタータは約200曲残っているが,その大部分は新型に属する。…
…最初期の曲は分厚い和音の連続と速いパッセージの交代だけからなっていたが,ベネチアのメルロClaudio Merulo(1533‐1604)以来,模倣的ないしはフーガ的な部分も挿入されるにいたって,自由で即興的な部分とフーガ風の部分の交代がトッカータの目だった特徴になった。そうしたトッカータを高度に発展させたのが北ドイツ・オルガン楽派の雄ブクステフーデである。オルガンの名手として名高かったJ.S.バッハは若い頃しかこの種のトッカータを作曲しなかったが,彼の有名なニ短調の《トッカータとフーガ》(BWV565)は,1705年にリューベックのブクステフーデを訪れたときの感動をそのままに伝えている。…
…18歳の若者に異例な高給が支給された事実は,オルガン演奏の技術がすでに卓抜であったことを証明している。05年10月から翌年1月末にかけて,バッハは北ドイツのリューベックを訪れて大家D.ブクステフーデの音楽に接し,そこから深い感銘を受けた。その影響は,この時期に書かれた多くのオルガン曲,たとえば有名な《トッカータとフーガ,ニ短調》(BWV565)などに明らかである。…
※「ブクステフーデ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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