ブレトン・ウッズ協定(読み)ぶれとんうっずきょうてい(英語表記)Bretton Woods Agreement

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブレトン・ウッズ協定」の意味・わかりやすい解説

ブレトン・ウッズ協定
ぶれとんうっずきょうてい
Bretton Woods Agreement

1944年7月22日、アメリカのニュー・ハンプシャー州ブレトン・ウッズにおいて連合国44か国の代表が集まって開かれた連合国通貨金融会議で締結された協定のこと。45年12月に発効。協定の正式の名称は連合国通貨金融最終議定書といい、連合国はここで銀問題、国際決済銀行清算、敵国財産および被奪財産に関する申合せを行ったが、より重要なのは、その付録である国際通貨基金IMF)協定条文と国際復興開発銀行(世界銀行)協定条文であり、一般にブレトン・ウッズ協定という場合はこの二つの協定のことをさしている。これは第二次世界大戦後における国際通貨金融の運営に関する方針を決めたもので、こうした体制をブレトン・ウッズ体制(または機構)とよんでいる。

 この協定が成立するまでにはいろいろな機構案が提案され、なかでもIMFについてはアメリカのホワイト案とイギリスのケインズ案が対立したが、討議のすえアメリカ案を骨子としたものとなった。ブレトン・ウッズ体制の基本的なねらいは、国際協力を強力に推進することによって世界経済の拡大均衡を実現することに置かれたが、そのような要請は戦前とくに1930年代の反省から生まれた。すなわち、30年代には、世界的大恐慌の影響に加えて、競争的平価切下げ、輸入制限が相次ぎ、やがて閉鎖的なブロック経済圏が各地に誕生して第二次世界大戦を誘発するに至った。このような苦い経験にかんがみ、新構想では、自由・無差別・多角的な世界貿易体制をつくりだすために、貿易・為替(かわせ)上の制限の撤廃為替相場の安定、経済復興開発の促進がうたわれ、その目標を達成するために、まず通貨金融機関としてIMFと世界銀行が設立された。その後、貿易機関としてガットGATT、関税および貿易に関する一般協定。世界貿易機関=WTOの前身)が成立し、また、世界銀行を補強する機関として国際金融公社、国際開発協会などが相次いで設立されている。

[土屋六郎]

『森井清著『貿易と国際法――国際法の法典化時代を迎えて』(1991・同文舘出版)』『本間雅美著『世界銀行の成立とブレトン・ウッズ体制』(1991・同文舘出版)』『佐瀬隆夫著『アメリカの国際通貨政策――ブレトン・ウッズ体制の回顧と展望』(1995・千倉書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブレトン・ウッズ協定」の意味・わかりやすい解説

ブレトンウッズ協定
ブレトンウッズきょうてい
Bretton Woods Agreements

第2次世界大戦後の国際通貨体制と経済復興の枠組みを定めた協定の通称。 1944年7月アメリカのニューハンプシャー州ブレトンウッズで開催された 44ヵ国参加の連合国国際通貨金融会議で締結された「連合国通貨金融会議最終議定書」が正式名称である。ここで国際決済銀行 BISなどに関する申合せを行なったが,大切なのはその付随する「国際通貨基金協定条文」「国際復興開発銀行 (世界銀行) 協定条文」であり,通常ブレトンウッズ協定という場合はこの2つの協定をさす。この協定により国際通貨基金 IMFが 45年 12月に,世界銀行は 46年6月にそれぞれ設立された。この協定に基づいて発足した国際通貨体制をブレトンウッズ体制と呼んでいる。この体制の本質は,国際金融問題を2国間ではなく国際機関を通じて多角的な解決をはかり,米ドルを基軸通貨とする金為替本位制度とアジャスタブル・ペッグを前提に国際通貨体制の安定化をねらうものであった。この体制は,ガットによる自由貿易の促進と相まって世界貿易の拡大に貢献してきたが,71年8月の米ドルと金との交換停止,73年の変動為替相場制度移行によって崩壊した。

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