プライバシーの権利(読み)ぷらいばしーのけんり(英語表記)right of privacy

翻訳|right of privacy

日本大百科全書(ニッポニカ) 「プライバシーの権利」の意味・わかりやすい解説

プライバシーの権利
ぷらいばしーのけんり
right of privacy

伝統的な意味では、「一人で放っておいてもらう権利」right to be let alone、つまり、人がその私生活私事をみだりに他人の目にさらされない権利をいう。たとえば、家庭の内情や個人の会話を公開されたり、私室をのぞきこまれたり、過去の経歴を小説などに利用されたりした場合に、この権利の侵害が問題となる。肖像権も、この権利の一つである。

 プライバシーの権利は、とりわけ、マス・メディアによる暴露、公開から個人の平穏な私生活を守るために、19世紀末以来、アメリカで発達してきた考え方である。この権利が侵害されたとするには、単に、私的な生活領域への侵入によって精神的苦痛を受けたことを証明するだけで十分であり、金銭的損害を受ける必要はない。また、名誉毀損(きそん)の場合と異なって、個人の社会的評価や信用が低下させられることを必要としないし、表現されたことが真実であるという証明があっても責任を免れうるわけではない。個人の平穏な私生活を保護するプライバシーの権利と、国民の知る権利に奉仕する意義をもつ表現の自由との調整は困難な場合が多いが、双方の利益を慎重に比較衡量することによって決定される。マス・メディアの報道活動にみられるように、政治家や大事件の当事者、あるいは芸能人のような「公的存在」、つまり公衆の正当な関心の対象となる社会的地位にある存在にかかわる場合、あるいは公共の利害に関係する事柄であるときは、私事や私生活がある程度公表されても、プライバシー侵害にはならない。侵害に対する救済方法としては、損害賠償や謝罪広告があるほか、私事や私生活がいったん公開されたのちの事後的な救済ではプライバシーの十分な保護を図れないことも多いので、公表を事前に差し止める請求も可能であると考えられる。

[浜田純一]

事件例

日本では、三島由紀夫の小説『宴(うたげ)のあと』(1960)をめぐって、この小説のモデルとされた元外務大臣有田八郎が、プライバシーの侵害を理由に謝罪広告と損害賠償を請求した事件が有名である。この事件に関する東京地裁判決(1964年9月28日)は、近代法および日本国憲法の根本理念である個人の尊厳の思想を引きながら、人格権一種として「私生活をみだりに公開されない権利」を認めた。そこでは、この権利の侵害が成立するには、「(1)公開された内容が、(a)私生活上の事実またはそれらしく受け取られるおそれのある事柄であり、(b)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場にたった場合公開を欲しないであろうと認められる事柄であり、(c)一般の人々にいまだ知られていない事柄であること、(2)公開により当該私人が実際に不快、不安の念を覚えたこと」が必要であるとされている。また、吉田喜重(よししげ)の監督・製作になる映画『エロス+(プラス)虐殺』(1970)をめぐって、元衆議院議員で女性解放運動・社会主義運動家である神近(かみちか)市子が、名誉毀損とプライバシーの侵害を理由にこの映画の上映の差止めを請求した事件がある。この事件に対する東京高裁決定(1970年4月13日)は、「映画の公開上映を差し止めなければならない程度に差し迫った、しかも回復不可能な重大な損害が生じているとはいえない」として、この請求を認めなかった(76年5月和解成立)。

 このプライバシーの権利は、日本国憲法第13条の「幸福追求権」の一環をなすものとして理解され、社会的に定着してきたが、1980年代には、とりわけ写真週刊誌によるプライバシーの侵害が深刻な問題となった。その頂点で起きたテレビの人気タレント、ビートたけし北野武)による写真週刊誌『FRIDAY(フライデー)』編集部乱入事件(1986)は、プライバシー侵害に人々の関心を向けさせ、「取材される側の権利」が主張されるきっかけとなった。

[浜田純一]

保護対策

現代のプライバシーの権利は、人格的自律にかかわる自己決定権としても理解され、妊娠中絶服装・ライフスタイルなどの自由、あるいは安楽死を求める権利などの場面でも援用されることがあるが、また、「自己についての情報をコントロールする権利」として理解されることによって、市民生活の保護のために重要な役割を果たしている。コンピュータを用いた大量の情報処理技術が発達した今日の情報化社会においては、事務処理の効率化のために行政機関や民間企業が、個人の私生活に関するさまざまな記録を、コンピュータを利用したデータバンクに集積するようになってきている。こうした動向がプライバシーに与える危険性を個人の側から有効にチェックするために、自分に関する収録データについての閲覧請求権、訂正請求権、不服申立権や、特定データの収集や入力の制限、さらに収録データの流用禁止などを制度化することが必要となる。欧米諸国では1970年代に、こうした趣旨を盛り込んだプライバシー保護法が制定されたが、日本でも、自治体における個人情報保護条例の積み重ねを経て、88年(昭和63)に、「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」が制定された。

 その後も、社会の情報化の進展とともに、プライバシーをめぐる問題が増加してきた。とくに、個人情報のデータベース化やその漏洩(ろうえい)が問題になり、民間部門を含む包括的個人情報保護法の必要性が議論され始めた。1999年(平成11)には、「国民総背番号制」につながると批判された住民基本台帳法の改正、また、組織犯罪対策立法の一環として通信傍受法の制定が行われ、情報化による利便とプライバシー保護との調整が大きな問題となった。

[浜田純一]

『戒能通孝・伊藤正己編著『プライヴァシー研究』(1962・日本評論社)』『伊藤正己著『プライバシーの権利』(1963・岩波書店)』『堀部政男著『現代のプライバシー』(岩波新書)』『阪本昌成著『プライヴァシーの権利』(1982・成文堂)』『堀部政男編著『情報公開・プライバシーの比較法』(1996・日本評論社)』『竹田稔著『プライバシー侵害と民事責任』(1998・判例時報社)』

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