吉田喜重(読み)ヨシダヨシシゲ

デジタル大辞泉 「吉田喜重」の意味・読み・例文・類語

よしだ‐よししげ【吉田喜重】

[1933~2022]映画監督福井の生まれ。「ろくでなし」で監督デビュー。新進気鋭の監督として高く評価された。「人間約束」で文化庁芸術作品賞。代表作秋津温泉」「エロス+虐殺」「戒厳令」「嵐が丘」など。よしだきじゅう。

よしだ‐きじゅう〔‐キヂユウ〕【吉田喜重】

よしだよししげ(吉田喜重)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉田喜重」の意味・わかりやすい解説

吉田喜重(よしだよししげ)
よしだよししげ
(1933―2022)

映画監督。昭和8年2月16日、福井県福井市生まれ。1947年(昭和22)、東京に移住。1955年、東京大学文学部フランス文学科卒業。同年、松竹大船撮影所に助監督として入社。木下恵介(けいすけ)監督に師事。1960年『ろくでなし』で監督デビュー。同年『血は渇いてる』、1961年『甘い夜の果て』を撮り、斬新な作風をみせる。1962年『秋津温泉』を岡田茉莉子(まりこ)(1933― )の企画・主演で撮り、高い評価を得る。ついで『嵐を呼ぶ十八人』(1963)、『日本脱出』(1964)を公開。後者の最終巻を会社に無断カットされたことを機に、同年8月、岡田と結婚後に松竹を退社。1966年、現代映画社を創立、岡田主演で、女性映画『女のみづうみ』(1966)、『情炎』『炎と女』(1967)、『樹氷のよろめき』(1968)を連作する。1970年、無政府主義者、大杉栄(さかえ)の女性関係を時空を交錯させて描く『エロス+(プラス)虐殺』を公開し、話題となる。『煉獄(れんごく)エロイカ』(1970)、『告白的女優論』(1971)の実験を経て、北一輝(きたいっき)と二・二六事件を描く『戒厳令』(1973)で映画的表現の頂点をきわめる。1974年から1977年までテレビ美術番組『美の美』を製作。1986年に『人間の約束』で、13年ぶりに劇映画復帰。1988年に『嵐が丘』、2002年(平成14)に『鏡の女たち』を監督し、再度注目された。

[坂尻昌平]

資料 監督作品一覧

ろくでなし(1960)
血は渇いてる(1960)
甘い夜の果て(1961)
秋津温泉(1962)
嵐を呼ぶ十八人(1963)
日本脱出(1964)
水で書かれた物語(1965)
女のみづうみ(1966)
情炎(1967)
炎と女(1967)
樹氷のよろめき(1968)
さらば夏の光(1968)
エロス+虐殺(1970)
煉獄エロイカ(1970)
告白的女優論(1971)
戒厳令(1973)
BIG-1物語 王貞治(1977)
狂言師 三宅藤九郎(1985)
人間の約束(1986)
嵐が丘(1988)
鏡の女たち(2002)

『吉田喜重著『自己否定の論理・想像力による変身』(1970・三一書房)』『吉田喜重著『見ることのアナーキズム――吉田喜重映像論集』(1971・仮面社)』『吉田喜重著『メヒコ 歓ばしき隠喩』(1984・岩波書店)』『吉田喜重・山口昌男他編『映画伝来――シネマトグラフと〈明治の日本〉』(1995・岩波書店)』『吉田喜重著『小津安二郎の反映画』(1998・岩波書店)』『『ユリイカ 4月臨時増刊号 総特集 吉田喜重』(2003・青土社)』『四方田犬彦編『吉田喜重の全体像』(2004・作品社)』『蓮實重彦編、吉田喜重著『吉田喜重変貌の倫理』(2006・青土社)』


吉田喜重(よしだきじゅう)
よしだきじゅう

吉田喜重

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百科事典マイペディア 「吉田喜重」の意味・わかりやすい解説

吉田喜重【よしだよししげ】

映画監督。福井市生れ。1955年東大卒業後,松竹大船撮影所に入る。木下恵介の助監督をへて《ろくでなし》(1960年)でデビューし,大島渚篠田正浩とともに〈松竹ヌーベル・バーグ〉と称された。《秋津温泉》(1962年)で評判を得るが,《嵐を呼ぶ十八人》(1963年),《日本脱出》(1964年)を最後に松竹を退社。《エロス+虐殺》(1970年),《煉獄エロイカ》(1970年),《告白的女優論》(1971年),《戒厳令》(1973年)など,代表作は退社後の作品に多い。人間存在を問う思弁的な作風に特徴がある。《人間の約束》(1986年),《嵐が丘》(1988年)などのほか,テレビの美術番組《美の美》(1974年)やオペラの演出も手がけている。女優の岡田茉莉子は夫人。
→関連項目日本アート・シアター・ギルド

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田喜重」の解説

吉田喜重 よしだ-よししげ

1933- 昭和後期-平成時代の映画監督。
昭和8年2月16日生まれ。岡田茉莉子(まりこ)の夫。昭和30年松竹に入社,35年「ろくでなし」で監督デビュー。「秋津温泉」などを手がけ,39年独立。以後「エロス+虐殺」「戒厳令」などを発表。62年「人間の約束」で芸術選奨。平成2年フランスでオペラ「蝶々夫人」を演出。11年評論「小津安二郎の反映画」で2度目の芸術選奨。福井県出身。東大卒。

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