改訂新版 世界大百科事典 「ポルタリス」の意味・わかりやすい解説
ポルタリス
Jean Étienne Marie Portalis
生没年:1746-1807
フランス民法典(1804公布)の起草を主導した法律家。南仏エクス大学の教会法教授を父とし,同大学法学部を経て19歳で弁護士となり,早くから学識と雄弁とで注目された。迫害されていたプロテスタントの婚姻の有効性擁護論(1770)ではボルテールの絶賛をうけ,一時エクスの行政官にも選出された(1778)。大革命時代は急進主義に対する留保的態度から隠遁と不遇とを余儀なくされ,ドイツに亡命もした(1797-1800)。《18世紀における哲学的精神の使用と濫用》(1820刊)は亡命中の作品である。しかし,ナポレオンの権力掌握以降,重用され,失明にもかかわらず非常な記憶力をもって精力的に活動した。捕獲審検所政府委員(検事)から国務顧問官conseiller d'Étatとなり(1800),宗教問題を担当,ナポレオンと教皇との政教条約Concordatの締結(1801)を推進し,引き続き宗教大臣に就任(1804),後にアカデミー会員にもなった(1806)。モンテスキューの経験主義,歴史主義に深く共鳴した穏健中庸の人であり,最大の功績たる民法典編纂においても,南北の慣習法の調和,古法の法技術と大革命の精神との調和に努めた。同草案に付した《民法典序論Discours préliminaire》に示された立法およびその解釈適用に関する省察は,今日なお価値を失わない。
執筆者:北村 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報