ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミュラ」の意味・わかりやすい解説
ミュラ
Murat, Joachim
[没]1815.10.13. カラブリア,ピッツォ
フランスの軍人。ナポレオン1世の義弟。 1795年バンデミエール 13日の王党派の襲撃にあたってナポレオンを助け,次いでイタリア戦争,エジプト遠征で名をあげた。帰国後,ブリュメール十八日のクーデターで再びナポレオンを助け,1800年ナポレオンの妹カロリーヌと結婚。同年マレンゴの戦いで軍功をあげ,04年ナポレオンが皇帝となったとき元帥となった。 08~15年ジョアシェン・ナポレオンと称しナポリ王位についた。 08年スペイン,12年ロシア遠征に参加。ライプチヒの戦いの敗北後,自分の王位を守るためにオーストリアと同盟を結び,ナポレオンを見放した。ナポレオンの失脚後,列強に無視されたため,15年ナポレオンがエルバ島を脱出するや,「百日天下」では彼を支持し,トレンティノでオーストリア軍に敗れ,ナポリを捨ててフランスに逃れた。ワーテルローの戦い後コルシカに逃れ,そこからイタリア南西部に上陸を試みて失敗し,カラブリアのピッツォで捕えられ,銃殺刑に処せられた。
ミュラ
Myra
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