改訂新版 世界大百科事典 「モチカ文化」の意味・わかりやすい解説
モチカ文化 (モチカぶんか)
南アメリカ,ペルー北部海岸のチカマ,モチェMoche両流域を本拠とした文化。第1ホライズンのチャビン文化の後,100-800年ころに,ペルー南海岸のナスカ文化,ボリビア高原のティアワナコ文化などとともに,いくつかの地域に分散,発展していった。この地は後にチムー王国の地盤になった所でもあり,強力な文化伝統をつくりあげている。モチカMochica文化の内容は遺構や埋葬などにみることができるが,さらに具体的な社会組織,生活,習慣をうかがわせてくれるのは,多様性とすぐれた造形感覚を示す土器の文様である。戦闘の場面や捕虜の姿,奴隷,囚人などとともに,対照的に豪華に飾りたてられた人物,神官あるいは神格化された人物が描かれ,その存在は,神権政治的な構造を示している。途方もない(約5000万個ともいわれる)アドベ(日乾煉瓦)を積みあげて築かれた,底辺130m×230m,高さ50mにも達する重層の神聖な基壇であるモチェのワカ・デル・ソル(太陽のピラミッド)に代表されるような巨大な宗教建築物は,強力な指導者と膨大な労力の提供者の存在を示している。生業の基本は農業にあり,複雑な灌漑体系が組まれ,運河,貯水池などを建設し,グアノ(鳥の糞)を肥料に利用してトウモロコシ,豆類など多様な植物を栽培した。また上層人の遊びである鹿猟,トトーラ舟による漁労などが土器に描かれている。武器は棍棒や投石器が使用された。打撲傷の治療,脳外科手術の発達にみる解剖学,生理学の知識は専門家の存在を暗示している。手厚く葬られた老齢な重要人物の墓の調査例はあるが,死後の世界観はよくわかっていない。
執筆者:松沢 亜生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報