改訂新版 世界大百科事典 「チムー文化」の意味・わかりやすい解説
チムー文化 (チムーぶんか)
ペルー北部海岸の都市トルヒーヨの近郊にあるチャンチャンChan Chanを中心とする文化。インカ帝国に征服される(1400年代)直前には北はトゥンベスから,南は現在のリマの付近まで,約1200kmにおよぶ海岸地帯を支配し,ランバイェケ谷,パカスマヨ谷などに複数の地方政治センターをもち,南は文化の違うチャンカイをも含む広大な版図をもつチムーChimú王国を形成していたといわれる。その成立に関しては,王国を築いた人々が南からバルサ筏でやってきたという伝説などがわずかに伝えられるが,ほとんど何もわかっていないし,考古学的にも証明されてはいない。おそらく1000年ころにモチェの谷に住む人々が,古い伝統的なモチカ文化と直前に栄えたワリ文化の要素とを融合して独自の文化をつくりあげたものであろう。王国の主都チャンチャンは20km四方におよぶ広大な規模をもち,モチェ川沿いの海岸に臨む平野部を占め,政治,経済,社会,文化の中心となり,一説には膨大な人口を擁したといわれる。近年,考古学的な調査,整備が進んでいる中心部のチュディ地区に,この文化の築いた建造物の威容がうかがえる。神殿,基壇,住居の土壁の基底壁画に,厚肉の浮彫で動物,海鳥,平行線,幾何学文様など写実的,また様式的なデザインをアラベスク風に展開する。遺物では,還元炎で焼き,磨きをかけた金属的な光沢を放つ黒色土器が特徴的であり,神,動植物,生活を描いた複雑な象形土器を型入手法で量産しているが,その造形は前代のモチカ文化に及ばない。織物,金属細工の技術は高く評価され,のちにこれらの技術者がクスコに迎えられ,神殿を飾る金銀製装飾品の製作に当たらされたともいわれる。
執筆者:松沢 亜生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報