日本大百科全書(ニッポニカ) 「モムゼン」の意味・わかりやすい解説
モムゼン
もむぜん
Theodor Mommsen
(1817―1903)
ドイツの古代史家。シュレスウィヒの牧師の家に生まれる。キール大学で法律を学び、のちイタリア、フランスで碑文学、考古学の研鑽(けんさん)を積む。1848年の三月革命では、郷里の新聞編集者として活発な論陣を張った。同年ライプツィヒ大学教授に招かれ、古代法を講義したが、50年反動的な政府と対立して罷免された。その後チューリヒ大学(1852)、ブレスラウ大学(1854)と移り、58年以降ベルリン大学で古代史を担当。モムゼンは当時の大学教授としては珍しく左派自由主義の立場にたち、プロイセン邦議会議員(1863~66、1873~79)、帝国議会議員(1881~84)としてビスマルクを鋭く批判。またトライチュケの国家主義的歴史学とも対決した。主著『ローマ史』(一~三巻・1854~56、第四巻は断片で未完、第五巻・1885)では、彼の政治的体験が躍動する文章となって読者を魅了し、このため後年(1902)ノーベル文学賞を受賞した。また多数の協力者を得て編集した『ラテン碑文集成』、『ローマ公法』(三巻・1871~88)、『ローマ刑法』(1889)その他の業績は、ニーブールのあと、近代におけるローマ史研究の礎石を据えた歴史家としての地位を不動のものとした。
[木谷 勤]
『ヴェーラー編、ドイツ現代史研究会訳『ドイツの歴史家 第一巻』(1982・未来社)』