デジタル大辞泉
「モルナール」の意味・読み・例文・類語
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モルナール
- ( Molnár Ferenc ━フェレンツ ) ハンガリーの劇作家、小説家。機智に富む対話と巧妙な筋の組み立てによって、多くの戯曲を書いた。戯曲「悪魔」「リリオム」、少年小説「パール街の少年たち」など。(一八七八‐一九五二)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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モルナール
もるなーる
Molnár Ferenc
(1878―1952)
ハンガリーの劇作家、小説家。ブダペスト生まれのユダヤ系作家で、ユーモラスな短編の書き手として出発したが、戯曲『悪魔』(1907)の成功で劇壇に知られ、『リリオム』(1909)と『近衛(このえ)兵』(1910)によって国際的な名声を得た。その後も、『白鳥』(1920)、『オリンピア』(1928)など多数の戯曲を書いて、世界各国の劇壇で人気を博したが、ナチスの圧迫を避けてアメリカへ亡命し、第二次世界大戦後ニューヨークで客死した。小説もかなり多く、なかでも少年小説『パール街の少年たち』(1907)がもっともよく知られている。また、第一次大戦の従軍日記『ある従軍記者の思い出』(1916)も代表作の一つである。モルナールの戯曲は、日本の劇壇でも、築地(つきじ)小劇場の『リリオム』(1927公演)以来しばしば上演され、『パール街の少年たち』も広く読まれている。
[徳永康元]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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モルナール
Molnár Ferenc
生没年:1878-1952
ハンガリーのユダヤ系の劇作家,作家。若くから新聞記者をしながら,軽妙な短編を発表していたが,やがて戯曲で才能を認められる。代表作《リリオム》(1909)はブダペストの下町を舞台に民衆の哀感をテーマにした悲喜劇で,欧米諸国で上演され,劇作家として不動の地位を確立する。ナチズムの台頭により祖国を離れ,ニューヨークで客死する。《パール街の少年たち》(1907)は多くの国々で訳され,少年文学の古典として知られている。
執筆者:岩崎 悦子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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モルナール
Molnár Ferenc
[生]1878.1.12. ブダペスト
[没]1952.4.1. ニューヨーク
ハンガリーの劇作家,小説家。ブダペストの富裕なユダヤ人家庭に生れ,ジュネーブに留学したが,帰国後,ジャーナリストとなり,次いで短編小説,劇作に筆を染めた。 1920~30年代には国際的人気作家となり,彼の戯曲は世界各国で上演された。ファシズムの波を避けて国外に亡命し,アメリカで客死した。代表的な戯曲に『リリオム』をはじめ『近衛兵』 Testör (1910) ,『館の中での芝居』 Játék a kastélyban (26) などがあり,ほかに児童文学の名作『パール街の少年たち』がある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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モルナール
ハンガリーの劇作家,小説家。初め短編作家として活動したが,戯曲《悪魔》が成功して劇壇に認められ,やがて《リリオム》《近衛兵》など多数の劇作で国際的な人気を博した。米国へ亡命しニューヨークで客死。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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世界大百科事典(旧版)内のモルナールの言及
※「モルナール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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