翻訳|Janus
古代ローマの神。本来は門の守護神であるが,軍隊や使節などの一行が儀式用の特別の門を通って出発するしきたりがあったところから,あらゆる物事の始まりをつかさどる神ともされた。このため神々への祈りは彼への呼びかけから始まり,犠牲の分け前もまず彼に捧げられた。また暦の第1月も彼の名を冠してヤヌアリウスJanuarius月と呼ばれ,ここから英語のJanuaryなど,近代西欧語の1月名が来ている。彼はローマ市のフォルムに小さな社をもち,その東西両端の扉は戦時には開け放たれ,平和時には閉ざされる定めであったが,アクティウムの海戦(前31)でアントニウスとクレオパトラの連合軍を破ったオクタウィアヌス(のちのアウグストゥス帝)が,前29年,ローマに凱旋してこれを閉ざしめたときが,建国以来3回目の閉扉であったという。ヤヌスはすでにローマ最古の銅貨に前後に顔をもつ双面神に描かれており,全身像の場合は左手に鍵,右手に笏(しやく)をもつ姿で表現された。
執筆者:水谷 智洋
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ローマの古い神。元来物事の始めをつかさどる神で、門がすべての行動の始まりを象徴することから、門の守護神となり、前後を向いた二つの頭をもつ姿で表された。犠牲などの宗教儀式では彼の名が最初によばれ、またローマ暦の1月は彼の名にちなんでヤヌアリウスJanuāriusとよばれた。神話においては、ヤヌスは古い時代にラティウムを支配した王で、ローマのヤニクルムの丘に都市を築き、ユピテルに追放されたサトゥルヌス神(ギリシアのクロノスと同じ)を迎えた。このサトゥルヌスは、カピトリウムの丘に都市サトゥルニアを建設したという。ヤヌスの治世は黄金時代で、彼はラティウムの住民にさまざまな技術を教え、野蛮な生活を改めさせた。ロムルスに女たちを奪われたサビニ人がローマを襲撃しようとしたとき、ヤヌスは熱湯の泉を噴出させて敵を敗走させた。このとき以来、戦争中はヤヌスの神殿の扉が開かれるようになったと伝えられる。
[小川正広]
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…しかし,ボエジャーはさらに多くの衛星を発見または確認し(いくつかは地上で発見されていた),その総数は21~23となった。ボエジャーの確認した衛星のうち番号がつけられたのはXヤヌス,XIエピメテウス,XIIヘレーネ,XIIIテレスト,XIVカリプソ,XVアトラス,XVIプロメテウス,XVIIパンドラ,XVIIIパンの9個である。テレスト,カリプソはテチスと,ヘレーネはディオーネと同じ軌道上で60゜前と後のいわゆる三体問題の正三角形解に相当する場所(ラグランジュ点)に存在している。…
…このような二重体は奇形として生まれることがあり,対称性二重体のうちとくに二対称性頭・胸結合体や前部二重体(側面二重体の一つ)が一つの身体に頭が二つあるような外観をとる。二対称性頭・胸結合体はヤヌス体ともいわれる。ローマの古神ヤヌスは門の守護神で,門はすべての物事の始まりであるとともに終りであることから,正反対の方向を向く二つの顔と頭があった。…
… そのあと老齢のネルウァが元老院に推されて帝位に就いた。この登極の経緯から彼は軍隊の統制に難渋したため,後継帝として兵士出身のトラヤヌスを指名し,養子として採用した。トラヤヌスも,続く3人の皇帝も息子がなかったため,後継帝をあらかじめ指名して養子としたので,ネルウァ(在位96‐98),トラヤヌス(在位98‐117),ハドリアヌス(在位117‐138),アントニヌス・ピウス(在位138‐161),マルクス・アウレリウス(在位161‐180)の5代の養子皇帝時代が続いた。…
※「ヤヌス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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