日本大百科全書(ニッポニカ) 「やまと人形」の意味・わかりやすい解説
やまと人形
やまとにんぎょう
手足を折り曲げることができ、衣装を脱がせたり着せたりできる、子供姿の日本人形。大和人形とも書く。髪はおかっぱで衣装は現代風俗(和服)のものが着せられている。頭や胴、手足は練り物製(桐(きり)のおがくずを生麩糊(しょうふのり)で練ったもの)が多い。
この人形作りの技法は江戸時代の裸人形、市松(いちま)人形、三つ折れ人形などの流れを受けたもので、古くから少女たちの遊び相手として愛好された。江戸初期から子供たちに親しまれた裸人形は、5、6歳くらいの幼女姿が多く、家庭で着物を縫って着せる。市松人形は、江戸時代の若衆形人気俳優佐野川市松(いちまつ)に模してつくられた衣装人形。三つ折れ人形は、腰、膝頭(ひざがしら)、足首が折れ曲がって座れるようにつくられ、20センチメートルから60センチメートルくらいのもの。江戸時代、京の人形師によって創始された。
1927年(昭和2)、国際親善のためアメリカから少女人形1万2000体が贈られてきた際、日本からは答礼として約80センチメートルの振袖(ふりそで)姿のやまと人形50体が渡米、人形使節の役を果たした。この種の人形はさまざまな名でよばれていたので、1935年4月、日本人形のなかの子供人形に標準的な名称をつける必要から、日本人形研究会の主唱で「やまと人形」という名称が選定され、以後全国的に使われている。なお、従来の日本人形は肌が汚れても除くことができない欠陥があったが、1937年の初め、汚れにくく、汚れたらふき取ることのできる塗料人形液が考案された。やまと人形の大部分がこの新塗装を用いて新時代に迎えられた。しかし第二次世界大戦後は西洋人形の圧倒的な進出で、ほとんど姿がみられなくなっている。一つにはこの種の人形の製作が機械に頼らず、練り物の生地(きじ)に胡粉(ごふん)を塗り、目を切り出し、面相を描き、髪を植えて仕上げる手作りのため、製作者が激減したことも原因になっている。現在では3月の雛(ひな)節供シーズンや一部の人形専門店などでみかけられる程度である。
[斎藤良輔]