条野採菊(読み)じょうのさいぎく

精選版 日本国語大辞典 「条野採菊」の意味・読み・例文・類語

じょうの‐さいぎく【条野採菊】

  1. 江戸末期から明治時代戯作者。本名伝平。別号山々亭有人(さんさんていありんど)。江戸の人。画家鏑木清方の父。明治五年(一八七二福地源一郎(桜痴)らと「東京日日新聞」を創刊。のち「やま新聞経営。著「春色恋廼染分解」「春色江戸紫」「廓雀小稲出来秋(さとすずめこいなのできあき)」など。天保三~明治三五年(一八三二‐一九〇二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「条野採菊」の意味・わかりやすい解説

条野採菊
じょうのさいぎく
(1832―1902)

戯作(げさく)者、新聞人。本名条野伝平。山々亭有人(さんさんていありんど)などの別号がある。江戸の生まれ。幕末、朧月亭(ろうげつてい)の別号による『春色恋廼染分解(こいのそめわけ)』(1860)その他の人情本作者として知られた。1868年(慶応4)福地桜痴(おうち)らと『江湖(こうこ)新聞』を創刊、1872年(明治5)には『東京日日新聞』を、さらにその後1886年『やまと新聞』を設立、社長となった。この間、小説家としても実録風の『近世紀聞』(1874)をはじめ『とりかへばや』(1889)などの作がある。三遊亭円朝の速記を『やまと新聞』に載せ、河竹黙阿弥(もくあみ)に脚本題材を与えもした。画家鏑木清方(かぶらききよかた)の父。

[岡 保生

『『明治文学全集1 明治開化期文学集(1)』(1966・筑摩書房)』

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百科事典マイペディア 「条野採菊」の意味・わかりやすい解説

条野採菊【じょうのさいぎく】

戯作者,新聞記者。本名桑野伝平。別号山々亭有人,採菊散人。江戸生れ。国文学の知識と教養を生かした人情本作家として知られる。代表作に《三人於七花暦封文(さんにんおしちはなごよみふうぶみ)》など。維新後〈三条の教憲〉発令の際は仮名垣魯文(かながきろぶん)らとともに戯作界を代表して〈著作道書キ上ゲ〉を提出,以後東京日日新聞》を創刊,福地桜痴を社長に迎え,10年余り新聞記者に徹した。《やまと新聞》創刊で作家活動を再開し,晩年まで人気を博し活躍した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「条野採菊」の解説

条野採菊 じょうの-さいぎく

1832-1902 江戸後期-明治時代の戯作(げさく)者,新聞人。
天保(てんぽう)3年9月生まれ。鏑木清方(かぶらき-きよかた)の父。人情本を得意とし,「春色恋廼染分解(こいのそめわけ)」「春色江戸紫」などを執筆。維新後,「東京日日新聞」「やまと新聞」を創刊し,採菊散人の名で新聞小説をかいた。明治35年1月24日死去。71歳。江戸出身。名は伝平。別号に山々亭有人(さんさんてい-ありんど)。

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世界大百科事典(旧版)内の条野採菊の言及

【鏑木清方】より

…東京の神田に生まれる。父は戯作者,小説家で《東京日日新聞》《やまと新聞》創刊者の条野採菊(じようのさいぎく)(伝平,山々亭有人。1831‐1901)。…

【三遊亭円朝】より

…とくに天保の改革以後,芝居が江戸の中心から離れた浅草観音裏の猿若三座に限られ,一般大衆が手軽に見物に行けなくなったこともあって,派手な衣装や道具を使用して歌舞伎の雰囲気を持ちこんだ芝居噺は,いっそう人気を集めた。文久年間(1861‐64)から山々亭有人(ありんど)(条野採菊(さいぎく)。1832‐1901),仮名垣魯文などの戯作者,3世瀬川如皐(じよこう),2世河竹新七(河竹黙阿弥)などの狂言作者をはじめとする文人たちが〈粋狂連〉というグループをつくって三題噺を自作自演して流行させていたが,これに参加して落語の題材や演出法など多くのものを学んだ円朝は,落語界に新風を起こし,その地位を確立していった。…

※「条野採菊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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