戯作(げさく)者、新聞人。本名条野伝平。山々亭有人(さんさんていありんど)などの別号がある。江戸の生まれ。幕末、朧月亭(ろうげつてい)の別号による『春色恋廼染分解(こいのそめわけ)』(1860)その他の人情本作者として知られた。1868年(慶応4)福地桜痴(おうち)らと『江湖(こうこ)新聞』を創刊、1872年(明治5)には『東京日日新聞』を、さらにその後1886年『やまと新聞』を設立、社長となった。この間、小説家としても実録風の『近世紀聞』(1874)をはじめ『とりかへばや』(1889)などの作がある。三遊亭円朝の速記を『やまと新聞』に載せ、河竹黙阿弥(もくあみ)に脚本の題材を与えもした。画家鏑木清方(かぶらききよかた)の父。
[岡 保生]
『『明治文学全集1 明治開化期文学集(1)』(1966・筑摩書房)』
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…東京の神田に生まれる。父は戯作者,小説家で《東京日日新聞》《やまと新聞》創刊者の条野採菊(じようのさいぎく)(伝平,山々亭有人。1831‐1901)。…
…とくに天保の改革以後,芝居が江戸の中心から離れた浅草観音裏の猿若三座に限られ,一般大衆が手軽に見物に行けなくなったこともあって,派手な衣装や道具を使用して歌舞伎の雰囲気を持ちこんだ芝居噺は,いっそう人気を集めた。文久年間(1861‐64)から山々亭有人(ありんど)(条野採菊(さいぎく)。1832‐1901),仮名垣魯文などの戯作者,3世瀬川如皐(じよこう),2世河竹新七(河竹黙阿弥)などの狂言作者をはじめとする文人たちが〈粋狂連〉というグループをつくって三題噺を自作自演して流行させていたが,これに参加して落語の題材や演出法など多くのものを学んだ円朝は,落語界に新風を起こし,その地位を確立していった。…
※「条野採菊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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