ピルグリムファーザーズ(英語表記)Pilgrim Fathers

翻訳|Pilgrim Fathers

デジタル大辞泉 「ピルグリムファーザーズ」の意味・読み・例文・類語

ピルグリム‐ファーザーズ(Pilgrim Fathers)

1620年、信仰の自由を求めて絶対王制下のイギリスからメーフラワー号北アメリカ移住した、総勢102人のピューリタンたち。現在のマサチューセッツプリマス上陸ニューイングランド植民地開拓の基礎をつくった。巡礼父祖。

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精選版 日本国語大辞典 「ピルグリムファーザーズ」の意味・読み・例文・類語

ピルグリム‐ファーザーズ

  1. ( [英語] Pilgrim Fathers 巡礼父祖の意 ) 一六二〇年、絶対王政下のイギリスの宗教的圧迫をのがれ、メイフラワー号で北アメリカに渡り、プリマス植民地建設した一〇二人の清教徒

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改訂新版 世界大百科事典 「ピルグリムファーザーズ」の意味・わかりやすい解説

ピルグリム・ファーザーズ
Pilgrim Fathers

1620年信仰の自由を求めてメーフラワー号で新大陸ニューイングランドに渡来,プリマス植民地を開いたイギリスの分離派ピューリタン。広義では彼らを主力とする102名の移住者全員を指す。中核の人たちはノッティンガムシャーの小村スクルービー近郊の農民で,地方の名士ウィリアム・ブルースターや牧師ジョン・ロビンソンの指導で信仰を養い,迫害によりオランダ亡命を決意した。10年間定住したオランダのライデンでの生活苦や子弟の教育の悩みから,アメリカ移住を図り,ロンドン商人の援助で資金と入植許可を得た。移住したライデンの仲間は,ブルースターや後に総督となるW.ブラッドフォード以下40名(教会員35名)で,本国で集められた他の移住者と合流して渡航したが,入植最初の冬に半数が病死した。ブラッドフォード聖書にちなんでみずからを〈この世の旅人〉と呼んだので,後に〈巡礼父祖Pilgrim Fathers〉の名が冠せられた。
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百科事典マイペディア 「ピルグリムファーザーズ」の意味・わかりやすい解説

ピルグリム・ファーザーズ

1620年,信仰の自由を求め,メーフラワー号で新大陸ニューイングランドに移住した英国の分離派ピューリタン。〈巡礼父祖〉と記される。W.ブラッドフォードの指導のもとプリマス植民地を建設。102名の移住者のうちにはオランダ,ライデンに宗教亡命していたピューリタン以外にも,英本国で集められた労働者が加わっていた。
→関連項目アメリカ合衆国コッド[岬]ニューイングランドピューリタンマサチューセッツ[州]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピルグリムファーザーズ」の意味・わかりやすい解説

ピルグリム・ファーザーズ
ぴるぐりむふぁーざーず
Pilgrim Fathers

1620年メイフラワー号で北アメリカに渡ったピューリタンその他の人たち。巡礼始祖と訳される。ピューリタンのうち分離派とよばれる人々は、宗教的迫害から1608年オランダに逃れたが、ブラッドフォードらはさらにアメリカ大陸への移住を決意し、イギリスのサウサンプトンに寄ってイギリスからの参加者を加え、総勢102人(うちピューリタンは35人)で、20年11月北アメリカ沿岸に到着。船上でメイフラワー契約を結んだのち、同年12月21日マサチューセッツ州の沿岸(のちのプリマス)に上陸、最初の冬の間に半数以上が死亡したが、屈することなく、プリマス植民地の基礎を築いた。

[松村 赳]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピルグリムファーザーズ」の意味・わかりやすい解説

ピルグリム・ファーザーズ
Pilgrim Fathers

1620年信仰の自由を求めて現アメリカのマサチューセッツ州プリマスに入植した人々。それより 12年前に宗教的自由を求めてオランダのライデンに移住したイギリス分離派教会の 35名を含め,102人の清教徒がバージニア会社の植民地に入植する約束でイギリスのサザンプトン港から『メイフラワー』号でアメリカへ出発,20年 11月約束とは違うプリマスの地に到着。上陸に先立って「メイフラワー契約」を結んで自治政治団体を結成し,上陸後の苦難に耐えて植民地建設に励んだ。 21年6月には正式特許状を受けてプリマス植民地が誕生したが,91年にマサチューセッツ湾植民地に併合された。 1819年になって彼らの不屈な精神をたたえてピルグリム会が発足,20年 D.ウェブスターが彼らを「ピルグリム・ファーザーズ」と呼び,全国的にこの名が普及するようになった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ピルグリムファーザーズ」の解説

ピルグリム・ファーザーズ
Pilgrim Fathers

自分たちの信仰を守りつつ生活できる土地を求め,1620年にメイフラワー号に乗って北アメリカに渡り,プリマス植民地を建設した分離派(イングランド国教会を批判し国教会から離れた人々)の植民者たち。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ピルグリムファーザーズ」の解説

ピルグリム−ファーザーズ
Pilgrim Fathers

アメリカ植民地を建設したイギリスのピューリタンの一群。「巡礼始祖」と訳す
1620年ステュアート朝の圧制に反抗し,信仰の自由を求めて,ブラッドフォードら102人のピューリタンがメイフラワー号に乗り,北アメリカのプリマスに上陸,多くの困難にうち勝ってニューイングランド建設の基礎をつくった。

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世界大百科事典(旧版)内のピルグリムファーザーズの言及

【キリスト教】より

…それは中世にみられる分派(セクト)と異なり,国家権力を離れることによってかえって教会独自の力を回復し,世俗化を積極的にうけとめるものであった。1620年にアメリカに移住したピルグリム・ファーザーズ(〈巡礼の先祖たち〉の意)につづいて多くのピューリタンがニューイングランドに植民地をもうけ,神政制を緩和して教会を中心とする民主的なタウン・コミュニティを建設した。教派は伝統的教会から別れるが,教会本来の課題に積極的にとり組むという点で,教会と本質を異にするのではない。…

【ピューリタン】より

…エリザベスの死後ジェームズ1世が即位したとき,ピューリタン牧師たちは〈千人請願〉を提出し改革の推進を求めたが,《欽定訳聖書》作成の願望以外はすべて受けいれられず,国教会体制はさらにひきしめられて継続することとなり,不満なグループはオランダやニューイングランドに移住するようになった。1620年メーフラワー号の人々(ピルグリム・ファーザーズ)がプリマスヘ上陸し,30年以降はボストン周辺へ大移住を行った。後者がニューイングランド・ピューリタニズムの最初のにない手となった。…

【メーフラワー・コンパクト】より

…メーフラワー誓約書ともいう。ピルグリム・ファーザーズ(巡礼父祖)によって,プリマス植民地建設にあたり,その乗船メーフラワー号上で結ばれた市民的政治団体civil body politic形成の契約書である。イギリスのピューリタンの中で,国教会から分離して独立の教会を形成することを主張していた分離派の一部は,信教の自由を求めて1608年オランダへ脱出した。…

※「ピルグリムファーザーズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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