ラシード・ウッディーン(その他表記)Rashīd al-Dīn Faḍl Allāh Ḥamadānī

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラシード・ウッディーン」の意味・わかりやすい解説

ラシード・ウッディーン
Rashīd al-Dīn Faḍl Allāh Ḥamadānī

[生]1247. ハマダーン
[没]1318
13~14世紀のイラン政治家歴史家。ユダヤ系と伝えられる。最初イル・ハン国アバカ・ハン (阿八哈汗)に医師として仕え,ガーザーン・ハン (合賛汗)の治世には宰相として,彼の改革政治の遂行に大きな役割を果した。ガーザーン,ウルジャーイトゥー 2代の治下に一族要職につけて絶大なる権勢を誇り,タブリーズ郊外に建てたラシード区 Rub`-i Rashīdīに多数の学者,文人を集めて,学術,文化の保護,育成に努めた。しかしアブー・サイード (不賽因) 治下の 1317年,政敵アリー・シャーのために失脚させられ,18年息子とともに処刑された。彼みずから著わした『集史』 Jāmi` al-Tawārīkh (1310/1) は,その地位を利して書かれた3巻から成る世界史。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ラシード・ウッディーン」の解説

ラシードゥッディーン
Rashīd al-Dīn

1249/50~1318

イル・ハン国の政治家,歴史家。ハマダーン出身。アバガの典医となり,のちガザン,オルジェイトゥ両ハンの宰相。史上初のユーラシア世界史『集史』の編纂者として有名。セルジューク朝の宰相ニザーム・アルムルクを範としてガザンの改革政治を推進,税制改革などに手腕を発揮した。私財を投じてタブリーズ郊外にラシード区と呼ばれる施設群を建設する一方,ワッサーフなど多くの文人を保護した。アブー・サイードの治世初めに政敵の陰謀で処刑された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ラシード・ウッディーン」の解説

ラシード=ウッディーン
Rashīd al-Dīn

1247〜1318
イル−ハン国の政治家・歴史家
1298年ガザン=ハンの宰相となり,モンゴルの部族統治機構をイランの社会に適合させるため,種々の政治改革を行ったが,次代ハンのとき政争に敗れて処刑された。ガザン=ハンの命で編集した『集史』(1311)は,第1巻モンゴル史,第2巻世界史,第3巻地誌(散逸)からなり,特に第1巻はモンゴル族の歴史をペルシア語で書いた貴重な文献

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