ラディゲ(読み)らでぃげ(英語表記)Raymond Radiguet

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラディゲ」の意味・わかりやすい解説

ラディゲ
らでぃげ
Raymond Radiguet
(1903―1923)

フランスの小説家、詩人。6月18日、パリ近郊にユーモア画家の子として生まれる。中学(リセ)入学のころから詩作を始め、まず作家のアンドレ・サルモンに詩才を認められる。14歳で最初の詩を発表、放縦な文学者の暮らしに入る。やがてジャン・コクトーと出会い、前衛的な文学、音楽、美術に触れ、社交界を知る。この出会いは、コクトーの身近に暮らし、その助言のもとで書くという以後生涯を決定した。小柄で近眼の、むしろ醜い少年は、簡潔で確かな洞察力と批評眼でコクトーを魅了し、その「守護天使」となる。早熟を示す作品『肉体悪魔』は16歳で書き始められ、19歳(1923)で発表された。しかし、一躍その名を馳(は)せるや、死を予感したかのように乱脈な生活を改め、詩や覚え書きを整理し「秩序」を取り戻してのち、腸チフスが原因で20歳の若さで死んだ。1923年12月12日のことであった。

 ラディゲの二大小説『肉体の悪魔』と『ドルジェル伯の舞踏会』(1924、死後刊行)は、前者が個人的な体験をもとに自然に成った作品とみえ、後者が計算された老獪(ろうかい)な作品とみえるが、トリオ(一人の女と二人の男)をめぐる恋愛心理の分析を小説とした点で共通し、醒(さ)めた語り口にコクトーのいう「剛(つよ)い心」が一貫して感じられる。トリスタン・ツァラ、アンドレ・ブルトンらと親交をもちながら、ダダシュルレアリスムの運動に加わらず、あえて伝統的フランス心理小説の手法を選んだところに、通俗こそ新しいとするラディゲの主張が読み取れる。詩集に『燃える頬(ほお)』(1925)がある。

[大崎明子]

『江口清訳『完本ラディゲ全集』全一巻(1970・雪華社)』『生島遼一訳『ドルジェル伯の舞踏会』(新潮文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラディゲ」の意味・わかりやすい解説

ラディゲ
Radiguet, Raymond

[生]1903.6.18. サンモール
[没]1923.12.12. パリ
フランスの小説家,詩人。パリのリセ (高等中学校) に在学中,15歳で詩才を認められ,新鮮な感覚に満ちた詩を発表。そのまま学業を放棄し,ジャーナリズムで身を立てながら自由奔放な生活をおくった。コクトーの熱心な庇護を受け,オペラ・コミック『ポールとビルジニー』 Paul et Virginie (1920,コクトーらと共作) ,戯曲『ペリカン家』 Les Pélicans (21) などを発表。夫を戦地へ送った妻と年下の青年との恋を格調高い文体で綴った小説『肉体の悪魔』 Le Diable au corps (23) で一躍文名を高めた。死後出版の小説『ドルジェル伯の舞踏会』 Le Bal du comte d'Orgel (24) は,愛と貞節との間で揺れ動く人妻の微妙な心理のひだをすでに円熟に達した古典的スタイルで分析した作品で,フランス心理小説の傑作の一つ。ほかに詩集『燃ゆる頬』 Les Joues en feu (20) 。チフスにかかって夭折した。

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