フランスの小説家、詩人。6月18日、パリ近郊にユーモア画家の子として生まれる。中学(リセ)入学のころから詩作を始め、まず作家のアンドレ・サルモンに詩才を認められる。14歳で最初の詩を発表、放縦な文学者の暮らしに入る。やがてジャン・コクトーと出会い、前衛的な文学、音楽、美術に触れ、社交界を知る。この出会いは、コクトーの身近に暮らし、その助言のもとで書くという以後の生涯を決定した。小柄で近眼の、むしろ醜い少年は、簡潔で確かな洞察力と批評眼でコクトーを魅了し、その「守護天使」となる。早熟を示す作品『肉体の悪魔』は16歳で書き始められ、19歳(1923)で発表された。しかし、一躍その名を馳(は)せるや、死を予感したかのように乱脈な生活を改め、詩や覚え書きを整理し「秩序」を取り戻してのち、腸チフスが原因で20歳の若さで死んだ。1923年12月12日のことであった。
ラディゲの二大小説『肉体の悪魔』と『ドルジェル伯の舞踏会』(1924、死後刊行)は、前者が個人的な体験をもとに自然に成った作品とみえ、後者が計算された老獪(ろうかい)な作品とみえるが、トリオ(一人の女と二人の男)をめぐる恋愛心理の分析を小説とした点で共通し、醒(さ)めた語り口にコクトーのいう「剛(つよ)い心」が一貫して感じられる。トリスタン・ツァラ、アンドレ・ブルトンらと親交をもちながら、ダダ、シュルレアリスムの運動に加わらず、あえて伝統的フランス心理小説の手法を選んだところに、通俗こそ新しいとするラディゲの主張が読み取れる。詩集に『燃える頬(ほお)』(1925)がある。
[大崎明子]
『江口清訳『完本ラディゲ全集』全一巻(1970・雪華社)』▽『生島遼一訳『ドルジェル伯の舞踏会』(新潮文庫)』
フランスの小説家,詩人。14歳の頃から詩を書き始め,若年にしてブルトンやツァラと文通し,サルモン,ジャコブ,コクトーらと親交を結んだ。とくに,コクトーの影響は大きい。第1次大戦下の銃後の人妻と少年との不倫の恋を描いた小説《肉体の悪魔Le diable au corps》(1923)の発表によってにわかに文名は高まるのであるが,その数ヵ月後に腸チフスのために,彗星のように忽然と他界してしまった。しかし,遺稿として出版された小説《ドルジェル伯の舞踏会Le bal du comte d'Orgel》(1924)は,ラ・ファイエット夫人の《クレーブの奥方》の奇跡のような現代的再現として絶賛された。ほかに,詩集《燃える頰》(1925),戯曲《ペリカン家》(1921上演)などがある。
執筆者:若林 真
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…そこでは,作者が作中人物の心理の動きを分析的言語で解説し,とくに恋愛過程における彼らの志向のすれ違いを,自己の感情についての錯覚や相手の感情についての誤解が織りなす悲劇的あるいは喜劇的事件の連鎖によって描くのが特色となっている。その極致がラディゲの《ドルジェル伯の舞踏会》(1924)で,古典的な硬質の文体でシニックに解剖された心理の交錯が,象牙の駒のかち合う音の響く将棋ゲームのような抽象化に達している。日本でも,大岡昇平の《武蔵野夫人》や三島由紀夫の《愛の渇き》にその強い影響が見られる。…
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