ラムス(読み)らむす(英語表記)Petrus Ramus

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラムス」の意味・わかりやすい解説

ラムス
Ramus, Petrus

[生]1515. ピカルディ,キュ
[没]1572.8.26. パリ
フランスの人文主義者,論理学者。フランス名 Pierre de La Ramée。アリストテレスとその伝統的解釈に反対したためパリ大学での講義を禁止された。彼は探求の方法としてではなく,キケロ修辞学を取り入れた論争術としての弁証法的論理学をつくりあげた。そして論争術の方法を,普遍から順次個におりていく自然的方法 (知識人向き) と,弁論術や詩学から例示された技巧による大衆向きの方法に2分した。彼の後継者はラムス派と呼ばれた。 1561年頃新教に改宗したが,学界およびカトリック教会迫害から逃れることはできず,サン=バルテルミの虐殺で殺された。主著『弁証論的分割法』 Dialecticae partitiones (1543) ,『弁証法』 Dialectique (1555) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラムス」の意味・わかりやすい解説

ラムス
らむす
Petrus Ramus
(1515―1572)

フランスの人文学者(ユマニスト)、哲学者。本名ピエール・ド・ラ・ラメPierre de La Ramée。アリストテレス‐スコラ論理学の人為的性格を激しく批判し、真の論理学は人間の自然で自発的な思考と推理とを支配する諸規則の定式化、つまり「自然論理学」でなければならないとし、これを文法すなわち「言論の術」ars loquendiおよび修辞学すなわち「話の術」ars discendiから区別して、「議論の術」ars desserendiとよんだ。1551年王立学院(後のコレージュ・ド・フランス)の教授となり、哲学と修辞学を講じたが、1561年改革派(プロテスタント)に改宗したためにその席を失い、1572年サン・バルテルミーの虐殺のときに暗殺された。

[坂井昭宏 2015年6月17日]

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