ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラロトンガ島」の意味・わかりやすい解説
ラロトンガ島
ラロトンガとう
Rarotonga
西暦 800年頃にはポリネシア人が居住していたとみられ,首都アバルア東方の谷筋にはマラエ maraeと呼ばれる宗教儀式を行なうための集会場が残されている。海岸沿いに島を一周する舗装道路「アラ・タプ」Ara Tapuと,さらに内陸を一周する古来の道「アラ・メチュア」Ara Metuaがある。ラロトンガ島には 1789年にイギリス海軍の輸送帆船『バウンティ』HMS Bountyの反乱者(→バウンティ号の反乱)が訪れており,また 1823年にはロンドン伝道会 London Missionary Societyの宣教師ジョン・ウィリアムズが島に到着し,キリスト教布教を開始した。
島の経済は柑橘類,パイナップル,ココナッツ,バナナの栽培や軽工業に支えられている。観光業も主要な産業で,アバルア西方のラロトンガ国際空港は多くの外国人観光客を受け入れている。アバルアにはかつて船舶の寄港に適した場所がなかったため,船を沖合いに停泊させて荷物をはしけで運搬していたが,空港近くにつくられたアバチウ港は浚渫により大型船の入港が可能である。中等教育機関のテレオラ・カレッジ Tereora College,職業訓練や看護教育なども行なうクック諸島高等研修所 Cook Islands Tertiary Training Instituteおよび病院がある。面積 67.1km2。人口 1万572(2011)。
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