ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルーマニア文学」の意味・わかりやすい解説
ルーマニア文学
ルーマニアぶんがく
Rumanian literature
ルーマニア語による宗教書の出版は 17世紀まで続き,トランシルバニア,ワラキア,モルドバでは,宗教改革をめぐる論争が活発になった。モルドバの神学者ドソフテイは,1673年にポーランドでルーマニア語による初の韻律詩篇を出版した。同時にこれはルーマニア語で書かれた最初の詩でもあった。 75年にドソフテイはモルドバに戻り,79年には典礼書をギリシア語から翻訳した。 17世紀末にかけて,ブカレストに近いスナゴブ修道院が文学活動の中心になり,ルーマニア語,ギリシア語,スラブ語,アラビア語の本が出版された。聖書の翻訳 (1688) は宗教文学の最高峰となり,これはのちのすべての翻訳の基礎となった。年代記文学は,17世紀のモルドバの M.コスティンが率いる人文主義の時代に頂点に達した。コスティンはルーマニア語でモルドバの年代記を書き,ポーランド語で祖国の歴史についての詩を書いた。モルドバの君主 D.カンテミールは,言語学者,年代記作家としても知られ,ラテン語でルーマニア,モルドバ,オスマン帝国の歴史を書いた。神学,歴史学,旅行記の著作がある N.ミレスクは,モルドバの歴史家のなかでも特異な位置を占めている。 18世紀はオスマン帝国の支配による社会的抑圧と衰退の時代であった。 18世紀末になって抒情詩が発達し,A.バカレスクが古代ギリシアの詩人アナクレオンにならって恋愛詩 (1769~99) を書いた。息子の I.バカレスクはすぐれた抒情詩によって,ルーマニア詩の父と呼ばれる。
1821年にワラキアで T.ブラジミレスクがオスマン帝国に蜂起して,ルーマニア人による統治が復活した。 19世紀後半にはドイツ哲学とフランス文化を根源とする本格的文学批評を通じて,近代ロマン主義文学が確立された。トランシルバニアのラテン主義は,カルパート山脈を越えてワラキアのギリシア風文化に影響を与えた。この影響を受け,ワラキアで初のルーマニア語の新聞を創刊した I.エリアーデ=ラドゥレスクは,イタリア文化の影響をもたらした先駆者である。同じくイタリアの影響を受けたモルドバの G.アサキは,歴史的短編小説を書き,ルーマニア語とイタリア語で詩を創作した。ロマン主義作家のなかでも傑出しているのが,主としてフランスの作家の影響を受けた寓話や風刺を書いた G.アレクサンドレスクである。 1848年革命の指導者の一人である A.ルッソは,聖書風の散文詩『ルーマニア賛歌』で文学に貢献した。 19世紀後半の代表的な作家に V.アレクサンドリと M.エミネスクがいる。才能豊かなアレクサンドリの作品は,『悲歌とすずらん』 (1853) などの詩,『フィレンツェの花売り娘』などの散文,戯曲『デスポト王』など多岐にわたっているほか,『バラード』 (52~53) ,『民謡』 (66) でルーマニア民謡を収集し紹介した。ルーマニア近代詩を創始した哲学的抒情詩人エミネスクは,ヒンドゥー教とドイツ哲学の影響を受けているが,伝統に根ざした立場をとり,文化のあらゆる側面で指導的役割を果した。作品には短編小説や政治,哲学エッセーもある。「青年派」という文学集団を結成 (1863) した T.マイオレスクは,内容よりも形式を優先することに反対し,後世の文学批評への流れをつくった。 I.L.カラジアーレは,ルーマニアの社会喜劇の創始者として 20世紀に影響を与え,B.デラブランチヤは歴史国民劇を確立した。
20世紀初頭のヨーロッパにおける文学運動は,ルーマニア文学にも影響を与えた。雑誌『ルーマニア生活』 (1901) は,ロシアの「人民主義」に基づいて,社会的,政治的イデオロギーを掲げ,批評家 C.ドブロジャヌ=ゲリヤの理論はマルクスの影響を受けていた。一方で,ルーマニア文学は西洋のモダニズムも反映していた。 O.デンスシヤヌには象徴主義の影響がはっきりとみられ,詩人 I.ミヌレスクと G.バコビアも同様である。 E.ロビネスクは印象派の影響を受けている。第1次世界大戦後のルーマニアの統一期には,社会や戦争を中心とする最近の出来事を題材にした小説が抒情詩をしのぐようになった。 L.レブリヤヌは,『一揆』 (32) で 1907年にトランシルバニアで起きた農民一揆を描き,『絞首台の森』 (1922) では第1次世界大戦へのルーマニアの参戦を題材にしている。 C.ペトレスクと詩人のミヌレスクも戦争をテーマにしたが,家父長制の消滅を描いた I.テオドルヤヌ,地方色豊かな題材を扱った V.ポーパ,ブカレスト近郊の生活を描いた G.M.ザンフィレスクら,社会のほかの分野を探求した作家もいる。 20世紀初めに現れた写実主義作家 M.サドビヤヌは,I.A.ブラテスク=ボイネシュティとともに旧世代との絆を象徴しており,散文の発達にきわめて大きな影響を与えた。この時期の文学には,学者,哲学者,批評家,翻訳者が果した役割も大きい。歴史家 N.ヨルガは文芸誌を創刊し,戯曲,詩,批評を執筆した。 L.ブラガは哲学的なエッセーと詩を書いた。 G.ガラクチオンは聖書を翻訳し,神秘主義的な詩と聖書を題材にした小説を書いた。ルーマニア近代文学で最も発達した分野は抒情詩である。数学的な形式が特徴の I.バルブ,フランス,ドイツの抒情詩の影響を受けた I.ピラトらに,その形式の多様さがうかがわれる。エミネスク以後,新しいポーランドの抒情詩を切り開いた T.アルゲージの詩の言語は,並みはずれた表現の豊かさと調和が特徴で,1935~36年に執筆した散文のエッセーと『ふさわしい言葉』 (1927) ,『黴 (かび) の花』 (31) などの詩は,ともにルーマニア文学史上画期的な作品である。
第2次世界大戦後も有力な作家が執筆を続けた。アルゲージは人間の生きる意志と自由への戦いをたたえる賛歌『1907年』で詩の新たな頂点をきわめた。 G.ボグザは社会主義リアリズム運動に参加し,一方で詩人 E.ジェベリヤヌは同時代の事件や主題に抗議した。第2次世界大戦中から戦後にかけて第一線に出てきた作家に,民話を題材にした抒情詩を書いた M.パラスキベスクがいる。戯曲の分野では,現代生活の問題を扱った A.バランガ,知識人の態度の変化を描いた H.ロビネスクがあげられる。批評家,散文作家の G.カリネスクはルーマニア文学史を執筆し (1944) ,エミネスクをはじめとする主要作家の貴重な研究も行なった。カリネスクは第1次世界大戦後のブダペスト社交界が徐々に腐敗していく様子を描いた小説と,第2次世界大戦後の再建期に知識人が果した役割を描いた小説でも知られる。 Z.スタンクは過ぎ去った時代のルーマニアの農村生活を描いた小説を執筆した。
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