ソ連邦の小説家。1946年以降ソ連最高会議代議員。進歩的な詩人を父としてモスクワに生まれた。中学卒業後,赤軍に勤務し,1922年童話風の短編《ブルイガ》でデビューした。幻想的題材の短編やドストエフスキーの影響の強い中編《小人間の死》(1924)などを経,長編《穴熊》(1924)で文名を確立した。《穴熊》は,共産党支配に抗する農民反乱の中で敵味方に分かれる兄弟の運命を通して,都市と農村の宿命的対立という形でロシア革命をとらえた作品で,革命後の傑作である。ネップ期に革命の理想を見失って泥棒の首領となった赤軍政治委員を主人公とした次の長編《泥棒》(1927)は,鋭い現実批判のゆえに長らく禁書扱いになっていたが,59年大幅に改作されて再び日の目を見た。五ヵ年計画を扱った長編《ソーチ》(1930)で彼は,古語や方言,革命後の新語を巧みに組み合わせて独特の文体を作りだした。続く長編《スクタレフスキー》(1932),《大洋への道》(1935)は社会主義リアリズムが唱えられだした時代的制約のために,彼の本領を発揮しえていない。彼はまた《ポロフチャンスク果樹園》(1938),《狼》(1938),《襲来》(1942)など,戯曲も数多く書いている。第2次大戦後は久しく沈黙していたが,長編《ロシアの森》(1953)で筆力の衰えぬことを示し,かつて上演禁止になった戯曲《金の馬車》(1955),《吹雪》(1963)や,SF小説《マッキンリー氏の逃亡》(1961)などを発表した。ソ連で最もユニークな作家といってよい。
執筆者:原 卓也
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旧ソ連の小説家。モスクワ生まれ。父は詩人。自由思想のかどで父がアルハンゲリスクへ流刑となったため19歳までその地で育った。十月革命の翌年、モスクワの中学校を終えて赤軍に入り、1922年、森の魔物を主人公にした怪奇幻想的な短編『ブルイガ』で文壇に登場、長編『穴熊(あなぐま)』(1924)で文名を確立した。第二の長編『泥棒』(1927)は、鋭い現実批判のため長らく禁書同然であったが、59年大幅に改作されてその批判をさらに深めた。また『ソーチ』(1930)、『スクタレフスキー』(1932)、『太洋への道』(1935)の長編で、社会主義建設の過程における集団と個人の関係に目を注いだ彼は、第二次世界大戦後も知識人の生き方を探ろうとする長編『ロシアの森』(1953)、シナリオ体のSF小説『マッキンリー氏の逃亡』(1961)、粛清と亡命者の問題を扱った中編『えうげにあ・いわのぶな』(1963)を書いて新境地を示した。ドストエフスキーの後継者と評されるレオーノフの作品は、その哲学性、作品の斬新(ざんしん)なスタイル、現代の問題に対するかかわり方などが大きな特色となっており、旧ソ連においては文字どおり異色の作家であったということができる。
[原 卓也]
『原卓也訳『泥棒』(1978・集英社)』▽『工藤幸雄訳『マキンリイ氏の逃亡』(『現代ソヴェト文学18人集2』所収・1967・新潮社)』
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