アイトリア同盟(読み)アイトリアどうめい(英語表記)Aetolian League

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

前 367年頃西部ギリシアアイトリア地方に形成され,前 340年頃までにギリシアの一大勢力となった都市同盟。同盟市民権,同盟総会,比例代表制評議会など民主的な連邦組織を構成した。前 322年と前 314~311年マケドニアの侵入を撃退し,中部ギリシアに進出した。ローマとは初め協調したが,のちに離反したため,前 189年ローマに抑圧され重要性を失った。

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百科事典マイペディアの解説

前4―前2世紀,ギリシア中部のアイトリア地方を中心に結成され,アカイア同盟とともにギリシア本土の二大同盟の一つ。前290年ころから中部ギリシアを支配する一大勢力となるが,前189年ローマの従属同盟国となり本来の意義を失う。同盟市民は共通市民権を有し,各市は人口に応じて代議員を選出した。

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世界大百科事典 第2版の解説

ヘレニズム期ギリシアに特徴的な都市同盟のひとつ。ギリシア本土中西部アイトリアAitōliaの主要都市と村落を中心に,前4世紀半ばころには成立していた。前290年ころデルフォイを占領して以来,中央ギリシア全体を支配する一大勢力となった。そして前3世紀後半までにはペロポネソス半島やエーゲ海諸島にまで影響力を及ぼすようになり,マケドニア王国アカイア同盟と対立した。しかし前189年ローマの従属同盟国となり,同盟はその存在意義を失った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

古代ギリシアのアイトリアAitōlia人の同盟。アイトリア人の居住したアイトリアは、コリント湾の北、中部ギリシア西側の山がちの地域。彼らの緩い部族連合的組織から、紀元前367年の少し前に、諸ポリス、部族国家の連合体としてのアイトリア同盟が成立した。同盟の長は毎年1人選ばれる将軍で、同盟総会、同盟評議会、代表評議員会などの会議があり、加盟ポリス、部族国家の成員は、各自が所属するポリス、部族国家の市民権と同盟の市民権を二重に所有した。前4世紀末に同盟の勢力はテルモピレーに及び、前3世紀初めにはデルフォイの支配権を得た。同世紀末にマケドニア王国に侵入されてから衰退が始まり、前192年それまでのローマとの同盟を捨ててシリア王国と結んだため、ローマの攻撃を受け、敗れて前189年ローマに従属する条約を結んだ。前146年以降ローマの属州に組み込まれて、その生命を終えた。

[清永昭次]

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世界大百科事典内のアイトリア同盟の言及

【スパルタ】より

…前338年マケドニアを盟主にコリントス(ヘラス)同盟が結成されたが,スパルタはこれに加盟せずに抵抗を続けた。
[ヘレニズム・ローマ期]
 ヘレニズム期のスパルタは,アカイア同盟にもアイトリア同盟にも属さず,孤立していた。前240年代からは社会改革が行われ,貴重な史料を残している。…

※「アイトリア同盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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