大学事典 「アカウンタビリティ」の解説
アカウンタビリティ
[定義と使用法]
日本語で「説明責任」と訳されることが多い。元来はaccount(勘定,経理,会計簿)に由来し,金銭の出納が適切になされていること,投入された資金に対応する適切な成果が得られているかについて,それを取り扱う個人や組織が責任を持つことを要求されることを意味しており,「会計責任」と訳されることもあった。しだいに拡大された意味で使用されるようになり,経理上だけではなく,ある事業を行うことを任された組織や人員が,そこでもたらされた結果全体について,経過や理由を含めて第三者や社会全体に対して説明することを求められる状況を指すようになった。責任responsibilityという言葉が,法律上あるいは制度的な権限に基づく責任という意味で使われる傾向があるのに対して,一種の職業倫理あるいは社会的要請により発生する責任というニュアンスがある。
教育の文脈では,1960年代のアメリカで,公立学校がその費用負担に見合うだけの学習成果をあげているか否かという論争をめぐって,とりわけ教員たちの団体的行動を批判することを意図して使われたのが最初の事例である。こうした事例や文献が日本に紹介された時に,日本の教育界でもアカウンタビリティという用語が知られることになったが,定義が必ずしも明確ではなく,論者によりニュアンスの相違があり,日本語に置き換えにくいという事情もあってカタカナのままで使用される場合も多い。学校のアカウンタビリティ,教員のアカウンタビリティという文脈で使われることが多い。
[高等教育での使用]
高等教育に関しては,より最近になってから使われはじめた言葉である。従来,一般的に高等教育機関には,政治や社会の世俗的関心から一定の距離感を置いた環境の中で教育・研究活動に専念すべきであるという「象牙の塔」的状況を理想とし,学問の自由を保持するために大学外部の政治的勢力等が大学の運営に介入するのを極力排除しようとする傾向があった。大学は一般市民の目から見れば,内部をうかがい知ることのできない別世界であり,栄光ある孤立を許された存在であった。大学が自らの活動実績や情報を社会に対して積極的に公開,発信するという姿勢はほとんど見られなかった。しかし大学をとりまく状況は大きく変化している。急速な量的拡張をとげるとともに,大学は優れた人材の養成,独創的な学術研究の推進にとどまらず,雇用状況,国際環境,国民生活の変化にともなって多様化,複雑化したさまざまな社会的要求に対応することを求められている。
[高等教育の社会的責任]
こうした変化を受けて,日本の高等教育の分野でも大学設置基準の緩和や自己点検・評価の導入などが行われた1990年代以降,政府や大学関係者の中でアカウンタビリティ論が議論されるようになってきた。1998年(平成10)の大学審議会答申には,「特に大学等においては公共的機関としてのその基本的な性格に改めて思いを致し,開かれた大学運営,社会的責任の履行にこれまで以上に努力していくことが求められる」と述べられている。ここでは「社会的責任」という言葉が使われているが,文脈的に見れば,アカウンタビリティとほぼ同じ意味で使われている。大学は,以前よりははるかに大きな社会的存在として,公共的な役割を担っていることを自覚し,それにふさわしい態度・行動をとるよう求められている。
もっとも,その後の展開をみれば,各国立大学法人による6年ごとの中期目標・中期計画の作成と報告,自己点検・評価の結果の公表,認証評価機関による定期的な評価結果の公表はすでに義務化,制度化されており,現実はもはやアカウンタビリティ(説明責任)という概念を超えたレベルにまで進展していると言えるかもしれない。さらに個別大学のレベルでは,詳細な授業シラバスの作成,客観性や透明性の高い新しい学業成績評価システム(GPA)の採用,卒業生の進路や雇用実績に関するより詳細な情報公開等が活発になってきている。少子化時代,大学淘汰の時代に突入した今日,大学が自分たちの活動規範,達成目標,運営方針,さらには活動実績を積極的に社会に広報し,その存在をアピールすることは,もはや自校の存亡にかかわる不可欠の活動となっている。
著者: 斉藤泰雄
参考文献: 広島大学大学教育研究センター編『大学のアカウンタビリティーとオートノミー』同センター,1998.
参考文献: 大学審議会答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について」,1998.
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報