フランス南西部,ガロンヌ川中・下流域(アキテーヌ盆地中・西部)を中心とした地方。その範囲は,時代によってはなはだしく異なるが,今日ではボルドーを主都とするギュイエンヌGuyenneおよびその周辺の諸地方,すなわちオーニスAunis(主都ラ・ロシェル),サントンジュSaintonge(サント),アングーモアAngoumois(アングレーム),ペリゴールPérigord(ペリグー),アジュネAgenais(アジャン),ケルシーQuercy,ガスコーニュGascogneなどを総称して,アキテーヌ地方と呼ぶのが通例である。
〈アキテーヌ〉という名称は,この地方が前56年,ローマに征服され属州とされ,アクイタニアAquitania(〈水の国〉の意)と呼ばれたことに由来する。この属州の領域は,今日のアキテーヌ地方よりはるかに広く,ロアール川からピレネー山脈に至る南西ガリア全域を占めていたが,この地方では,ガリア人は,さして激しい抵抗も見せずローマの支配を受けいれ,以後250年余,平和のうちにローマ化され,各地に都市が建設され繁栄した。今日もサント,ボルドー,ペリグーなどにその遺跡が見られる。またボルドー周辺にブドウ栽培が導入されたのもこの時代であり,すでにガリア北部へ向けて,ブドウ酒の輸出がさかんに行われた。
5世紀初めの西ゴート族の侵入,建国に始まり,中世前期にかけての500年間,この地方は,ガスコン,イスラム勢力,ノルマンなどの異民族のあいつぐ侵入を受け,衰退する。しかし古代ローマ文明は,都市生活や大農場経営などの形で,8~9世紀まで衰えながらも存続し,この根強い伝統がこの地方の歴史的特性の一つをなすことになる。他方,クロービスやカール・マルテルにより,一時はフランク王国に統合されるが,北フランスを中心とするフランク王の権力はこの地方に有効に及ばず,その支配は永続しなかった。要するにこの地方は,古代末期から中世初期にかけて,北フランスほどに徹底した社会的・政治的な解体,再編成を蒙ることがなく,そのために,中世を通じてローマ法の影響の浸透した成文法が行われ,家父長権の強大と一子相続制を特徴とする家族制度や領主制,封建制の発達の不完全など,北フランスとは異なった社会構造が見られる。また,イベリア半島に隣接するその位置から,つねにイスラム文化ないしモサラベ文化の影響を受けたこともこの地方の特色の一つをなすことになる。
11世紀中葉,ポアティエを首都とするアキテーヌ公国が,ガロンヌ川以南を領有するガスコーニュ公国を併合することにより,ロアールからピレネーに至る地域が再び統一された。公国はその後1世紀にわたり繁栄し,アキテーヌ公の威勢は,その封建主君であるフランス王をさえしのぎ,その宮廷では,宮廷風恋愛をうたうトルバドゥールに代表されるような洗練された享楽的な貴族文化が早熟な開花を見せ,カペー朝の宮廷の粗野で厳格な気風と際だった対照を示した。
1154年,公国の相続権をもつエレオノールÉléonore(Aliénor)d'Aquitaineの嫁したプランタジネット家のアンリが,イギリス王位を継承(ヘンリー2世),アキテーヌはフランス王を宗主としながらイギリス王領となった。以来,百年戦争に至るまで,両王の間に封建的紛争が絶えないが,反面,イギリスとの結びつきはこの地方に経済的繁栄をもたらし,とりわけボルドー市にブドウ酒輸出に関し特権が与えられたことから,輸出は飛躍的に増加し,周辺地域のブドウ栽培は14世紀初頭に最盛期に達した。なお,13世紀中ごろからは,アキテーヌは,なまってギュイエンヌと呼ばれるようになる。
百年戦争は,しばしばこの地方を戦場とするが,その終結により,この地方は最終的にフランス王領となった。そして近代に入り,中世末期の戦乱とペストによる荒廃からのゆるやかな回復の過程が始まった。とりわけこの過程で,この地方に特徴的なポリカルチャーが高度な完成を見せ,また分益小作制が導入された。他方,大西洋岸貿易の発展により,ボルドーのほか,ラ・ロシェル,バイヨンヌなどの海港都市の活動もさかんとなった。
18世紀に入るとボルドーの貿易商は,直接アンティル諸島の植民地との交易にのり出し,めざましい成功をおさめた。革命前夜にはボルドーの貿易量は,全フランスの貿易量の4分の1を占める。この貿易の隆盛の影響は内陸深くにまで及び,農工業をさかんにし,18世紀後半は,アキテーヌ地方の黄金時代となった。
しかし,このもっぱら海外貿易に依存した繁栄は,革命から帝政にかけて,ハイチの反乱,独立や,イギリスとの海上戦や大陸封鎖政策の応酬に敗北することにより被害をうけ,さらにより長期的には,大西洋貿易路の主軸が北に移ることにより決定的な打撃を蒙った。ボルドーは一地方港の位置に転落し,南西フランス全域が工業化から取り残され,無気力な停滞状態に陥った。農村に安定した繁栄をもたらしてきたポリカルチャーと分益小作制が農業近代化の桎梏と化した。
第2次大戦後,アキテーヌはようやく本格的な農業の革新を体験した。ポリカルチャーは合理化され,特産的な商品作物との結合がはかられた。たとえばガロンヌ,ドルドーニュ流域の果実,タバコ栽培や,ガスコーニュ一帯のトウモロコシとそれを飼料とする家禽の飼育があげられる。伝統的なブドウ栽培はボルドー地方のほか,コニャック周辺にさかんであり,またシャラントでは,20世紀初めから協同組合方式による酪農が発達している。それに対し工業は,ピレネーの水力に加え,ランドの石油やラックの天然ガス開発により新しいエネルギー源を得,石油化学のほか宇宙航空産業などの先進的工業の誘致も進められたが,まだその成果はきわめて貧弱であり,この地方を経済的後進状態にとどめている。なお広域行政区域としてのアキテーヌは,ジロンドなど計5県からなり,歴史的アキテーヌの南西部分とベアルンにあたる。
執筆者:井上 尭裕
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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