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アタワルパ Atahualpa

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アタワルパ
Atahualpa

[生]?
[没]1533.8.29. カハマルカ
インカ帝国最後の王 (在位 1532~33) 。父ワイナ・カパックの死 (25) 後,兄のワスカルとインカ帝国を2分し,北部のキト地方を与えられたがこれに満足せず,ワスカルとの間に紛争を起し彼を倒した。このインカ帝国内紛の最中,侵略してきた F.ピサロに捕えられ,傀儡 (かいらい) として利用され莫大な金を略奪されたうえ処刑された。

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百科事典マイペディアの解説

アタワルパ

インカ帝国最後の皇帝(在位1532年―1533年)。父帝ワイナ・カパクの死後,嫡出の兄ワスカルと戦ってこれを殺し,全土を掌握した。のちスペインの侵略者F.ピサロの謀略でカハマルカで捕われ,処刑。

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世界大百科事典 第2版の解説

アタワルパ【Atahualpa Inca】

?‐1533
インカ帝国最後の皇帝。第11代皇帝ワイナ・カパックの非嫡出子として生まれたが,父の征服戦争に随行するなかで寵愛を受け,1525年ころエクアドルのキトでワイナ・カパックが死ぬと,クスコに残った嫡出のワスカルと対立した。内戦ののち新帝ワスカルを破り,皇帝を自称し,32年クスコへ向かう途中,ペルー北部のカハマルカでF.ピサロに捕らえられ,33年7月26日殺された。【大貫 良夫】

アタワルパ【Juan Santos Atahualpa】

?‐1755ころ
ペルーのクスコ生れのメスティソらしい。1742年中部ペルー東方のグラン・パホナルの森林地帯でインカ皇帝の子孫と称し,インカ帝国復興を予言して,カンパ,ピロ,クニーボその他の諸部族を動員,スペイン植民地軍と戦う。スペイン人のペルー追放を予言したが,高地インディオへの影響力は弱かった。55年か56年,酒に酔ったインディオの投げた石による負傷がもとで死去,それと共に反乱は自然消滅した。【大貫 良夫】

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大辞林 第三版の解説

アタワルパ【Atahualpa Inca】

?~1533) インカ帝国最後の皇帝。スペインの南米大陸侵略に伴い、 F =ピサロに捕らえられ処刑される。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アタワルパ
あたわるぱ
Atahualpa
(1502ころ―1533)

インカ帝国最後の皇帝。第11代皇帝ワイナ・カパックの庶子。父の死後、新皇帝となった嫡子ワスカルと対立し、内戦のすえ、ワスカルをハウハに幽閉し、皇帝となる(1532)。同じころ、スペイン人征服者(コンキスタドール)ピサロは黄金のうわさを頼りに約170人の仲間を率いてインカ帝国の整備された幹線道路を南進していた。カハマルカで一行と会見した皇帝アタワルパは、スペイン国王への臣従とキリスト教への改宗とを要求され、その回答として、バルベルデ神父の差し出す聖書を地面に投げつけた。その直後、不意に攻撃された。インカ軍は初めて目にする騎馬、銃砲、鉄剣に驚き、大混乱のなかで敗走、アタワルパはあっけなく捕虜となった。身代金として「一部屋分」の金銀を提供するが、約束の自由は与えられず、逆に、ピサロ一行との連合を恐れてひそかに命じたワスカル殺害の罪などを問われ、火刑を宣告された。1533年7月26日、刑執行の日、アタワルパは火刑のかわりに絞首刑に処せられること、遺体は埋葬されることを条件にキリスト教の洗礼を受けた。「太陽の子」インカとしての遺体の復活を信じていたのである。[青木康征]

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世界大百科事典内のアタワルパの言及

【カハマルカ】より

…町の中心にある教会建築などは,かつてのスペイン植民地時代のなごりをとどめており,付近にはインカ時代以来の温泉もある。1532年スペインの征服者ピサロがインカ皇帝アタワルパと会見した歴史的町であり,この時アタワルパは策略によって捕らえられた。これを機にインカ帝国は征服されることとなる。…

【ピサロ】より

…スペイン人コンキスタドール(新大陸征服者)。フランシスコ・ピサロの異母弟。兄フランシスコとともにペルーへ渡る。インカ帝国征服後,1540年伝説上の〈ニッケイの国〉を求めて,キトからアンデスを越えてアマゾンの密林へ遠征するが失敗。42年に制定された〈新法〉の実施と初代副王ブラスコ・ヌニェス・ベラの赴任に反対し,コンキスタドールや植民者の権益を守るべく反乱を起こすが,48年,ハキハワナの戦でペドロ・デ・ラ・ガスカ麾下の王室軍に敗れ,処刑された。…

【インカ文明】より

…大帝国を築いたのは,9代パチャクティ王(在位1438‐71)から,11代ワイナ・カパク王(在位1493‐1525)の時代である。ワイナ・カパク王の死とともに,正妻の子ワスカルがクスコで,側妻の子アタワルパはエクアドルのキトで,それぞれ王位を継ぎ,5年間にわたる内乱がつづいた。ピサロの率いるスペイン人が侵入したのは,ちょうどそのころで,奸計によりアタワルパ王は捕らえられ,莫大な身代金を積んだにもかかわらず処刑され(1532),大帝国はもろくも滅びた。…

※「アタワルパ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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