アナスタシウス(読み)あなすたしうす(英語表記)Anastasius Ⅰ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アナスタシウス」の意味・わかりやすい解説

アナスタシウス
Anastasius

[生]810頃. ローマ?
[没]878頃
教皇ベネディクツス3世在位 855~858)の対立教皇(在位 855)。司書アナスタシウス Anastasius Bibliothecariusとも呼ばれる。ギリシア語学者として注目され,848年頃,ローマの聖マルケルス教会の司祭枢機卿(→カーディナル)となった。一時,対立教皇となったが,教皇ベネディクツス3世と和解し,のちに教皇庁図書館の司書となった。三位一体における聖霊の問題や東西教会の教義の違いをめぐり,コンスタンチノープル総大主教フォチオスと対立した。また,ハドリアヌス2世(在位 867~872)やヨハネス8世(在位 872~882)など,9世紀の教皇の政策に強い影響を与えた助言者であった。おもな著作にディオニュシオス偽書の著者に関する注釈書があり,"Liber pontificalis"の,ニコラウス1世(在位 858~867)とハドリアヌス2世の解説文も,アナスタシウスの手によるものとされる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アナスタシウス」の意味・わかりやすい解説

アナスタシウス(1世)
あなすたしうす
Anastasius Ⅰ
(431ころ―518)

ビザンティン帝国皇帝(在位491~518)。宮廷の守機密官であったが、ゼノン帝の死(491)後その妃アリアドネと結婚、60歳で皇帝に推挙された。賢帝誉れ高く、税制改革や冗費の節約などにより、乱脈を極めていた財政を立て直し、またイサウリア人の反乱やブルガリア人の侵入を撃退、さらに異民族からの防衛のため、黒海からマルマラ海にかけて防壁を築いた。一方ササン朝ペルシアとの戦争を終結させ、内外の問題を抱えた帝国の再建に成功、後代のユスティニアヌス帝時代の栄光の基礎を築いた。しかし、宗教問題では単性説を支持、優遇したため国内反乱を招き、西方教会との対立を決定的なものにした。

[島 創平]

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