アナン(英語表記)Anan ben David

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アナン
Anan ben David

8世紀頃のバビロニアのユダヤ教禁欲主義哲学者。アナニテス派の創設者。のちのカライ派の創設者とも考えられている。彼はタルムード主義のもとで教育を受けたにもかかわらず,伝統的なタルムードの立場を退け,聖書のみを唯一の神の律法であるとし,そこに戻ることを主張した最初の人といわれる。9世紀後半には,ラビから邪教とみなされたが,10世紀にはカライ派真正ユダヤ教に吸収され,彼は「真正ユダヤ教徒の父」と呼ばれた。

アナン
Annan, Kofi

[生]1938.4.8. ガーナクマシ
国連職員,国連事務総長 (在任 1997~2006) 。クマシの科学技術大学で学んだのち,アメリカに留学。ミネソタ州セントポールのマカレスター大学経済学部を 1961年に卒業。次いでジュネーブ国際高等大学大学院で経済学を専攻,1962年国連に入り,ジュネーブの世界保健機関 WHOの行財政担当官となったのをはじめ,世界各国の国連の関連機関で勤務。その間,1972年マサチューセッツ工科大学で経営学修士号を取得。 1993年より平和維持活動担当事務次長として,国連が国際的な平和・安全保障領域における新しい任務をになえるように尽力。 1997年1月国際公務員から初めて国連事務総長となる。 2001年国連とアナン個人にノーベル平和賞が授与された。

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デジタル大辞泉の解説

アナン(Kofi Atta Annan)

[1938~ ]ガーナの外交官政治家。1962年国連事務局に入る。WHO(世界保健機関)やUNHCR国連難民高等弁務官事務所)などの業務を経て、1997年には第7代国連事務総長に就任。2001年、人権保護活動や国際テロ防止への取り組みなどが評価され、国際連合とともにノーベル平和賞受賞。2006年、任期満了により国連事務総長を退任

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百科事典マイペディアの解説

アナン

ガーナの国際外交官。国連事務総長。科学技術大学卒。1959年から米国ミネソタ州のマカレスター・カレッジ留学などを経て,1962年世界保健機関(WHO)行財政担当官。国連本部事務局予算部長,行財政局財務官などを歴任。1993年3月平和維持活動担当事務次長(いわゆるPKO局長)に就任。1995年11月には明石康の後を継いで旧ユーゴ問題担当事務総長特別代表となる。ガリ前事務総長の後を受けて,1997年1月第7代国連事務総長に就任,初の国連生え抜きの事務総長となった。2001年,2期目に再選,2006年12月,任期満了のため退任。2001年ノーベル平和賞。
→関連項目国際連合潘基文

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アナン
あなん
Kofi Atta Annan
(1938― )

第7代国際連合(国連)事務総長。ガーナ共和国クマシ市に生まれる。同市の科学技術大学、アメリカ・マカレスター大学経済学部を卒業、ジュネーブ国際高等大学大学院(経済学)で学び、1962年国連事務局に入る。1971~1972年マサチューセッツ工科大学(MIT)の特別研究員となり、経営学修士号を取得。国連では、ジュネーブの世界保健機構(WHO)、アジスアベバのアフリカ経済委員会、国連難民高等弁務官事務所などで、管理、予算、財務、人事を担当し、本部事務局では人事部長、予算部長を経て、人事管理官担当事務次長補、計画立案・予算・財政担当事務次長補を務め、1993年国連平和維持活動担当事務次長。この間、1990年湾岸戦争の際、イラクへ派遣され人質解放などの交渉にあたり、旧ユーゴスラビア担当国連特別代表も務めるなど、紛争地域に数多く派遣され解決に努力した。1997年1月1日、初めての事務局出身の事務総長に就任。2001年、国連とともにノーベル平和賞を受賞した。2002年再任。国連の能力の向上、平和維持のための予防外交、官僚主義を排し国連を市民に近づけることなどを強調し、2006年12月までの任期を務めた。[藤井宏志]

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