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アナ・ボル論争 アナ・ボルろんそう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アナ・ボル論争
アナ・ボルろんそう

1921年から 1922年にかけて日本の社会主義派内部で起こったアナルコ・サンディカリズム派 (アナ派) とボルシェビズム派 (ボル派) の思想的,運動論的論争と対立。当初,日本社会主義同盟の結成 (1920) に際しては,幸徳秋水大杉栄らアナルコ・サンディカリズム派が優位に立ち,堺利彦山川均らのマルクス主義派がこれに協力していたが,ロシア革命ソビエト連邦に対する評価の相違から,両派の間で激しい論争と対立が引き起こされた。対立が頂点に達したのは,1922年9月,アナ派系の労働組合同盟会とボル派系の日本労働同盟会による総連合創立大会が開催されたときであった。総連合を中央集権的組織とする (ボル派) か,あるいは自由な連合体とする (アナ派) かをめぐって激突し,警察の解散命令によって創立大会は不成立となった。以後,「赤か黒か」 (ボルかアナか) ,「AかBか」 (アナかボルか) の論争が続いたが,大杉が殺害されたことによってアナ派は致命的打撃を受け,しだいにボル派が社会主義運動の主流を形成するにいたった。

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百科事典マイペディアの解説

アナ・ボル論争【アナボルろんそう】

大正期の労働組合の組織論をめぐるアナルコ・サンディカリスムボリシェビズムボリシェビキ)の論争。大逆事件以後の〈冬の時代〉を通じて優勢化した大杉栄らのアナ系に対し,ロシア革命(1917年)の影響で,堺利彦山川均らボル系の影響が増大し,1922年の日本労働組合総連合結成大会にいたる過程で対立が頂点に達した。
→関連項目アナーキズム

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アナ・ボル論争
あなぼるろんそう

大正後期の労働運動の理論と実践をめぐる社会主義者間の論争。第一次世界大戦末期のロシア革命、米騒動の勃発(ぼっぱつ)、戦後恐慌の発生などの情勢下で、1919年(大正8)ごろから、一時沈滞していた労働組合、社会主義の運動が再生、活発化してきた。初めは大杉栄(さかえ)に代表されるアナルコ・サンジカリスト(アナ派)が運動の大勢を制し、遅れて堺利彦(さかいとしひこ)、山川均(ひとし)らのロシアの多数派=ボリシェビキをとってボル派(マルクス主義)が台頭してきたが、1920年両派が提携して日本社会主義同盟を結成するなど共存した。翌1921年5月社会主義同盟が解散を命ぜられた前後から両派の論争が激化し、労働組合も二分されて対立し、1922年7月日本共産党が創立され、ボル派がやや優勢になった。同年9月労働組合の統一のための日本労働組合総連合の創立大会が開かれたが、傍聴席を占めたアナ派は組織の自由連合案を、ボル派は中央集権案を声援し、両派組合の抗争のうちに大会は解散を命ぜられた。これを頂点としてアナ派は退潮していき、ボル派が勝利を占めた。[松尾 洋]
『堺利彦稿「日本社会主義運動小史」(『堺利彦全集 第六巻』1970・法律文化社・所収)』

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