アルニム(読み)あるにむ(英語表記)Ludwig Achim von Arnim

デジタル大辞泉 「アルニム」の意味・読み・例文・類語

アルニム(Ludwig Achim von Arnim)

[1781~1831]ドイツ詩人小説家劇作家。後期ロマン派を代表ブレンターノ共編で民謡集「少年魔法角笛」を刊行

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精選版 日本国語大辞典 「アルニム」の意味・読み・例文・類語

アルニム

  1. ( Achim von Arnim アヒム=フォン━ ) ドイツの詩人、小説家、劇作家。後期ロマン派の一人。詩人ブレンターノと歌謡集「少年の魔法の角笛」を共編。(一七八一‐一八三一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルニム」の意味・わかりやすい解説

アルニム(Ludwig Achim von Arnim)
あるにむ
Ludwig Achim von Arnim
(1781―1831)

ドイツ後期ロマン派の作家。ベルリンに生まれる。ハレとゲッティンゲンの大学で法律、自然科学などを学ぶ。処女作『ホリンの愛の生活』(1802)を著し、西欧諸国を旅行後、ハイデルベルクで親友C・ブレンターノと、グリム童話集と並称される最初の包括的ドイツ民謡集『少年の魔法の角笛』(1805~1808)を編纂(へんさん)、またハイデルベルク・ロマン派の機関誌『隠者の新聞』発刊(1808)のほか、長編『伯爵夫人ドロレスの貧困、富裕、過ち、贖(つぐな)い』(1810)を執筆、祖国の精神的遺産の継承と時代の更新に努めた。ブレンターノの妹ベッティーナとの結婚(1811)数年後には都会生活を離れ、ウィーペルスドルフで生涯を送り、未完の歴史小説『王冠の守護者』(1817)、幻想的短編『エジプトイサベラ』(1812)、『ラトノオ砦(とりで)の狂気の傷痍(しょうい)兵』(1818)、数編の劇作などを残す。空想と現実の錯綜(さくそう)する彼の文学はとかく無形式と評されたが、近年新たな評価もみられる。

[富田武正]

『深田甫訳『エジプトのイサベラ』(1976・国書刊行会)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルニム」の意味・わかりやすい解説

アルニム
Arnim, Achim von

[生]1781.1.26. ベルリン
[没]1831.1.21. ウィーパースドルフ
ドイツの詩人,小説家,劇作家。本名 Karl Joachim Friedrich Ludwig von Arnim。古い貴族の出身。クレメンス・ブレンターノ親交を結び,その妹ベッティーナと結婚。ブレンターノと協力してドイツの古い民謡,童謡,賛美歌など約 600編を収集した『少年の魔法の角笛』Des Knaben Wunderhorn(1805~08)はグリム兄弟の『子供と家庭の童話』と並んでこの時代の最も大きな成果である。自身の創作活動では詩や戯曲より小説の領域で成功している。長編ではホーエンシュタウフェン王家の再興を目指す秘密結社の苦難を多彩に描いた歴史小説『王冠を守る人々』Die Kronenwächter(2巻,1817,1854),短編ではカルル5世の初恋の相手であるロマの少女を描いた怪奇小説『エジプトのイザベラ』Isabella von Ägypten(1812)などがロマン主義文学の傑作の一つに数えられている。

アルニム
Arnim, Harry, Graf von

[生]1824.10.3. モイツェルフィツ
[没]1881.5.19. ニース
ドイツ,プロシアの外交官。 1850年外交畑に入り,北ドイツ連邦のローマ大使,ドイツ帝国のパリ大使などとして活躍したが,ビスマルクとの政治的対立から 74年逮捕され,その数ヵ月後に投獄された。釈放後,彼の失脚は,ビスマルクの政治的ねたみによるものだという文書を公にしたが,逆に反逆罪,名誉毀損などに問われ,再度逮捕され,獄中で没した。

アルニム
Arnim, Bettina von; Elisabeth

[生]1785.4.4. フランクフルト
[没]1859.1.20. ベルリン
ドイツの女流作家。 C.ブレンターノの妹で,A.アルニムの妻。熱烈にゲーテを崇拝し,若い頃この大詩人とかわした書簡をもとにした小説『ゲーテとある子供との往復書簡』 Goethes Briefwechsel mit einem Kinde (1835) がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「アルニム」の意味・わかりやすい解説

アルニム
Achim von Arnim
生没年:1781-1831

ドイツ後期ロマン派の小説家,詩人,劇作家。ベルリンの貴族の息子で,保守的心情とロマンティックで空想的な感情の融合した作風を示した。ドイツ古歌謡集《少年の魔法の角笛》(1806-08)をC.ブレンターノと共編し,またロマン派機関紙《隠者新聞》を発行(1808)。1811年,ブレンターノの妹ベッティーナ(B.vonアルニム)と結婚。愛国的歴史小説《王冠の監守人》(1817-,未完)や男女間の問題を扱った小説《ドローレス伯爵夫人の貧と富と罪と贖い》(1810)などが有名。
執筆者:


アルニム
Bettina von Arnim
生没年:1785-1859

ドイツ後期ロマン派の女流作家で,情熱的な才媛。C.ブレンターノの妹で,A.vonアルニムの妻となった。現実の文通に奔放な空想を織りまぜて作品化した。中でも《ゲーテと一少女の文通》(1835),自殺した女流詩人を記念する《ギュンデローデ》(1840),亡兄をしのぶ《ブレンターノの春の花輪》(1844)が有名。晩年は民主社会主義的傾向を強め,《この書を王に》(1843)などの政治的文書を発表した。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「アルニム」の意味・わかりやすい解説

アルニム

ドイツ後期ロマン派の詩人。ベルリンの貴族の出で,終生の親友C.ブレンターノとともに収集した民謡集《少年の魔法の角笛》(1806年―1808年)によって民族の遺産への国民的自覚を促し,グリム兄弟の民話収集に刺激を与えた。1811年ブレンターノの妹ベッティーナ(B.vonアルニム)と結婚,ハイデルベルクに集まったロマン主義者たちの中心となった。未完の長編《王冠の監守人》は近代歴史小説への道を開く。

アルニム

ドイツ後期ロマン派の女性作家。C.ブレンターノの妹で,A.v.アルニムの妻。ゲーテへの異常なまでの敬愛と興味から生まれた書簡小説《ゲーテと一少女の文通》がある。また社会主義思想に接近して女性の精神的・政治的解放に努力した。

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世界大百科事典(旧版)内のアルニムの言及

【児童文学】より


[ドイツ]
 ドイツではJ.B.バゼドーの主唱に呼応してコンペJ.H.Compeが1776年に《小さな子ども文庫》を出したのがはじめで,ややおくれてG.A.ビュルガーが1786年にラスペR.E.Raspeの作に手を入れた《ミュンヒハウゼン男爵の冒険(ミュンヒハウゼン物語)》をあらわし,ゲーテにつづくロマン派の人々が,民話の収集にあたっている。その所産がブレンターノとA.vonアルニムの《少年の魔笛》であり,グリム兄弟の《子どもと家庭のための昔話集》であった。ベヒシュタインL.Bechsteinの《ドイツ童話の本》(1844)がそれにつづく。…

【少年の魔法の角笛】より

…ドイツの民謡・歌謡集(3巻,1806‐08)。ハイデルベルクにおいてA.vonアルニムC.ブレンターノが協力して,古来の民謡や民謡風歌謡類約600編を収集編纂した。ナポレオンの支配下にある自国民に,民族の独自性と誇りを自覚させようとの願いがこめられていた。…

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