フランスの劇作家ラシーヌの五幕韻文悲劇。1667年11月,ブルゴーニュ座初演。ウェルギリウス《アエネーイス》の〈夫の墓に祈るアンドロマケ〉の段を典拠とするトロイア戦争の後日譚。アキレウスの子ピリュスは,父の倒したヘクトルの妻アンドロマックに恋をし,結婚か,さもなくばヘクトルの忘れ形見アスチアナクスの死か,と脅迫する。ピリュスが顧みようとしない婚約者エルミオーヌ(ヘレネの娘),彼女を慕うオレスト(アガメムノンの息子)がギリシアの大使としてアスチアナクス殺害を要求しに来る。わが子を救うために結婚の誓いを与えて自害しようというアンドロマックの決心に至るまでの逡巡が,ピリュス,エルミオーヌ,オレストの片想いの連鎖を狂った情念の場にする。エルミオーヌの命によるオレストのピリュス殺害,エルミオーヌの自害,オレスト狂乱という破局は,人間をとらえて離さぬ恋の情念を宿命の力として描いた悲劇の典型である。その初演の成功はP.コルネイユの《ル・シッド》の成功にも比較され,この破壊的な恋の情念の悲劇によって,ラシーヌは当代一流の悲劇詩人として認められた。
執筆者:渡辺 守章
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
フランスの劇詩人ラシーヌの韻文悲劇。5幕。1667年初演。ギリシア神話に取材し、トロイ滅亡の数年後、トロイの英雄エクトールの未亡人アンドロマックと遺児とを捕虜(ほりょ)にしているエピール王ピリスの宮殿が舞台。ピリスはスパルタのエルミオーヌ王女と婚約していながらアンドロマックを恋し、遺児の生命を求めるギリシアの使者オレスト王子はエルミオーヌに恋している。アンドロマックは亡夫への貞節と遺児の安全を両立させるため、死ぬ覚悟でピリス王の求婚に応じるが、嫉妬(しっと)に狂ったエルミオーヌはオレストに王を殺害させて自殺し、オレストも気が狂い、王妃となったアンドロマックは貞操と遺児を守り通す。
主題が一貫し、事件は1日に集中して、筋・時・所の単一を旨とするいわゆる三一致(さんいっち)の法則を守り、3000語たらずの日常的語彙(ごい)でつづった美しい韻文に、恋愛情念の諸相を通じて人間の宿命を描ききっている。コルネイユの『ル・シッド』で築かれた古典悲劇を心理劇として完成した傑作である。
[岩瀬 孝]
『渡辺守章訳『ラシーヌ戯曲全集 1 アンドロマック』(1964・人文書院)』▽『内藤濯訳『アンドロマク』(岩波文庫)』
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