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アーサー王伝説 アーサーおうでんせつArthurian legend

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アーサー王伝説
アーサーおうでんせつ
Arthurian legend

アーサー王と円卓の騎士にまつわる伝説や物語。一説によればアーサー王は5世紀後半から6世紀前半にかけて,その当時,ローマ帝国の属州だったブリタニア (今日のイギリス) に実在したとも言われる人物で,サクソン人に抵抗したローマ化されたブリトン人か,ブリトン化されたローマ人の将軍か隊長ではなかったかと考えられている。6世紀末のブリトン人の詩人アナイアリンが『ゴドディン』という英雄詩に彼の名前を残して以来,9世紀前半のウェールズの聖職者ネンニウスがラテン語で書いた『ブリトン人史』 Historia Brittonum,同じくラテン語のジェフリー・オブ・モンマス(→ジェフリー)による『ブリタニア列王史』などを経て,アーサーは救国の英雄たる偉大な王へと変身した。ここに後のアーサー王伝説の原型となる多くの要素が盛り込まれた。
この作品はアングロ・ノルマンの詩人ワースによって 1155年頃フランス語に訳され,『ブリュ物語』となる。 1200年頃には,イギリス人の詩人ラヤモンにより『ブルート』 Brutとして英訳された。こうした書物によるもののほかに,吟遊詩人たちによる口承の物語がヨーロッパ各地に流布していった。『列王史』は歴史として書かれたが,口承も含めての主題を「物語」に変えたのは,12世紀フランスの作家,クレチアン・ド・トロアであった。『エレックとエニード』 Érec et Énide,『クリジェス』 Cligés,『ランスロ,または荷馬車の騎士』 Lancelot ou Le Chevalier de là Charrette,『イバン,または獅子の騎士』 Le Chevalier au Lion,Yvain,『ペルスバル,または聖杯物語』 Le Roman de Perceval ou Le Conte du Graalと,アーサ王世界を題材とした5つの作品を残した。第3作は,フランス国王ルイ7世とアリエール・ダキテーヌの娘,マリー・ド・シャンパーニュの命により書かれ,最後の作品はフランドル伯,フィリップ・ダルザズに捧げた。彼の身許については諸説あるが,「かのアレクサンダー大王でさえ,この王に比べれば,貧しいと言わざるを得ない」というようなアーサー王とその宮廷の豪華なイメージを作り上げた。騎士道の華,人々の夢の凝結としてのカムロットであり,「円卓」であった。これらの作品は 1158年から 90年にかけて書かれたと考えられているが,1200年から 30年にかけて4つの続編も書かれた。
彼の影響を受けたもの,受けないものも含め,散文物語群『異本アーサー王物語集成』,『ペルレスボー』,ハルトマン・フォン・アウエやウォルフラム・フォン・エッシェンバッハのドイツ語作品,詩人ロベール・ド・ボロンの作品,作者不詳の『ガウェイン卿と緑の騎士』など,フランス語,ドイツ語,オランダ語,ラテン語,ポルトガル語,へブライ語,スペイン語,英語で人々はこの騎士物語に熱中した。興味深いことには,イギリスからフランスへ,そしてイギリスへ逆輸入されることによって,その偉大さは増幅した。今日,人々が知るような形で集大成したのは,T.マロリーの『アーサーの死』 Le Morte Darthurである。

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デジタル大辞泉の解説

アーサーおう‐でんせつ〔‐ワウ‐〕【アーサー王伝説】

Arthurian Legend》英国の先住民族ケルト族の古伝説。ウェールズの武将、のちにブリトン人の王となったアーサーに関する伝説で、5~6世紀のサクソン侵入のころ形成され、アーサーの武勇と功績、円卓の騎士の活躍、騎士ランスロットと王妃グィネビアの恋物語などからなる。12世紀以降フランス・ドイツなどにも伝わり、聖杯伝説やトリスタン伝説と混合し、多くの韻文・散文の題材に用いられた。アーサー王物語。

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百科事典マイペディアの解説

アーサー王伝説【アーサーおうでんせつ】

ケルトのアーサー王King Arthurにまつわる物語。5世紀ごろアーサーという英雄が実在したらしいが,その人物像はもっぱら伝説の中で形成された。王の騎士たち(円卓の騎士)の挿話も多く,王妃ギネビアに恋したランスロット,トリスタンとイゾルデ,ガラハッドやガウェインの聖杯伝説などを含む。
→関連項目クレティアン・ド・トロア小説テニソンハルトマンボイアルドマロリー

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とっさの日本語便利帳の解説

アーサー王伝説

アーサー王は、六世紀のブリトン人の伝説的な王。円卓の騎士を従えてサクソン人と戦った。この伝説は一三世紀に完成、聖杯探索と、王妃グィネヴィアと騎士ランスロットの恋愛が重要な要素となった。

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デジタル大辞泉プラスの解説

アーサー王伝説

アメリカの舞踊家・振付家ジョン・ノイマイヤーによるバレエ(1982)。原題《Artus-Saga》。初演はハンブルク・バレエ団

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世界大百科事典 第2版の解説

アーサーおうでんせつ【アーサー王伝説 Arthurian Legend】

アーサー王King Arthurとその宮廷における円卓の騎士たちの物語を総称するもので,中世ヨーロッパ文学の最も重要な主題の一つであった。歴史上の実在の人物としてのアーサーは,ウェールズ人の歴史家ネンニウスのラテン語による《ブリトン人史》(800ころ)に,サクソン人と戦いしばしばこれを敗走せしめた将軍として記録されている。このアーサーは,6世紀から12世紀にかけて,サクソン人に征服されたケルト人の王国再興のために再来すべき,伝説的英雄に変容していった。

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大辞林 第三版の解説

アーサーおうでんせつ【アーサー王伝説】

六世紀頃サクソンと戦ったケルトの伝説的英雄アーサー(Arthur)王と円卓騎士団をめぐる一連の物語。中世以降、騎士たちの冒険や恋愛、聖杯探求の物語などが加えられ、また、トリスタン伝説と結びついて一大物語群に発展した。トーマス=マロリーの「アーサー王の死」はこの伝説の集大成といえる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アーサー王伝説
あーさーおうでんせつ
Arthurian Legend

アーサー王とその円卓騎士団の物語。フランスを中心として中世ヨーロッパのほぼ全土で親しまれた。6世紀ごろに実在したアーサーは、ケルト人の一武将にすぎず、このころ侵入するサクソン人をしばしば撃退したと、8世紀末の歴史家ネンニウスの『ブリトン史』Historia Britonumが伝えている。しかし結局はブリテンは滅ぼされて、アーサーはしだいにケルト人の王国再興の夢を託する英雄にと伝説化していったものと思われる。
 伝説の内容は、アーサー王は、ブリテン王である父が魔法使いマーリンの助けで貴婦人と同衾(どうきん)して誕生する。若くしてブリテン王となったアーサーは、宝剣エクスキャリバーを得、これを振るって諸国を平らげる。彼は貴族の娘グィネビアと結婚して妃(きさき)とし、これを甥(おい)のモドレッドにゆだねてローマ遠征の途につくが、留守中にモドレッドが反逆し、王位と妃とを奪われてしまう。アーサーは遠征を中断して帰国し、モドレッドを討つが、自らも致命傷を受け、不思議な島アバロンに去る。これが主筋(すじ)であるが、ほかに150人の円卓騎士団の建国物語と彼らの武功と愛、さらにキリストが最後の晩餐(ばんさん)に用い、またアリマタヤのヨセフJoseph of Arimatheaが十字架上のキリストが流した血を受けたという聖盤Holy Grailの行方を探求する、いわゆる聖杯(聖盤)物語などの諸伝説が織り込まれており、これらを総称して「アーサー王伝説」とよんでいる。
 この記述は多くの作品として残されているが、最初の重要な作品は12世紀のジェフリー・オブ・モンマスGeoffrey of Monmouthがラテン語で著した『ブリテン列王史』Historia Regum Britanniaeである。ここには、今日の伝説の形の原型をなすものができあがっており、その後の多くのアーサー王物語の典拠となった。これをウァースWaceが、フランス語の韻文『ブリュ物語』Le Roman de Brut(1155)に翻案、ついでラヤモンLayamonはこれをもとにして英語の頭韻詩『ブルート』Brut(1200ころ)を書いた。一方、「ブリテンの話材」The Matter of Britainとよばれたアーサー王物語はさまざまに発展し、聖杯伝説やトリスタンとイゾルデの悲恋物語と結び付いていく。フランスのクレチアン・ド・トロアは『ランスロ、または荷馬車の騎士』Lancelot ou le Chevalier de la Charrette(1180ころ)などの宮廷風騎士ロマンや『ペルスバルあるいは聖杯の物語』Perceval ou le Conte del Graal(1182ころ)を書き、とくに後者は、キリスト教神秘思想を導入した最初の作品となった。ドイツの詩人ウォルフラム・フォン・エッシェンバハの『パルチバル』(1210ころ)は聖杯物語の傑作である。
 13世紀になると、アーサー王ロマンスは散文に直され、フランス語散文で書かれたいわゆる「流布(るふ)本物語群」Vulgate Cycleとして愛読された。やがて15世紀のT・マロリーはこの流布本物語群、『散文トリスタン』および英語韻文『アーサー王の死』Morte Arthur(e)2編を英語散文に翻案して、アーサー王物語を集大成した。その内容は、アーサー王の誕生に始まり、円卓の騎士たちの活躍、ランスロットと王妃グィネビアの不倫の恋、騎士団の崩壊に至るもので、1485年印刷業者W・カクストンが『アーサー王の死』Le Morte d'Arthurの題で出版した。この作品は、後のイギリス文学に多大な影響を与え、これを素材としたE・スペンサーの『妖精(ようせい)女王』(1590~1596)、A・テニソンの『国王牧歌』(1859)は、ともにイギリス文学史上の傑作となった。ほかにマーク・トウェーンの風刺小説、T・S・エリオットの『荒地(あれち)』(1922)、T・H・ホワイト(1906―1964)の『過去と未来の王』(1958)などがあり、また、W・モリス、A・C・スウィンバーン、M・アーノルドらの世紀末文学にも直接間接に多くの材料を提供した。なお、夏目漱石(そうせき)にもこの物語を扱った『薤露行(かいろこう)』(1905)がある。[高宮利行]
『リチャード・バーバー著、高宮利行訳『アーサー王――その歴史と伝説』(1983・東京書籍) ▽R・キャヴェンディッシュ著、高市順一郎訳『アーサー王伝説』(1983・晶文社)』

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世界大百科事典内のアーサー王伝説の言及

【イギリス】より

…イギリス人といえばすぐにアングロ・サクソン人と考えたくなるが,文化,芸術の面から見ると,先住民族ケルト人の果たす役割が非常に大きい。例えば,イギリスのみならずヨーロッパにまで広く及んでいる〈アーサー王伝説〉は,本来ケルト民族の生み出したものであり,それが地中海沿岸地方から渡来して来たキリスト教思想と混合して変質したと考えられる。さらにイギリス文学におけるケルト的要素は無視できないものがある。…

【グラストンベリー】より

…そのため,グラストンベリーこそイングランド最初のキリスト教伝来の地である,とする伝説が生まれ,この地に残る名高い修道院の遺跡は,アングロ・サクソン人やデーン人の侵入にも,またノルマン人の征服にも耐え抜いた,ゆるぎなきキリスト教の栄光の証しであると,うたわれている。また1191年にここで発見されたアーサー王とその妃ギネビアの遺体が,1276年,エドワード1世立会いの下に,再び同修道院の中央祭壇前に埋葬されたという伝説と相まって,〈アーサー王伝説〉ゆかりの名所となっている。【安東 伸介】。…

※「アーサー王伝説」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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