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イギリスのアーサー王伝説において円卓に座る資格をもった騎士。円卓は、座る位置によって上下の差のない平等性を示唆する。円卓についての最初の記述は1154年ごろワースによってフランス語で書かれた『ブルート』であって、騎士たちの優位争いを止めるためにアーサー王がくふうしたという。円卓の起源に関しては諸説あって、アーサーの父ユーサー・ペンドラゴンがカメリアード王レオデグランスに与え、その娘ギニビアがアーサーと結婚する際、100人の騎士を添えて祝いの品にしたとか、聖杯を手にしたアリマタヤのヨセフの最後の晩餐(ばんさん)のテーブルをかたどったとかいう。ともあれ、この円卓には150人の騎士が座ることができるといい、ここに座ることのできる騎士はキリスト教的使命に燃えた優れた騎士であり、失われた聖杯を尋ね求めることを第一の目的としている。円卓には一つの空席があり、「危険な座」とよばれて、無事に座る資格のある優れた騎士のために空けられている。やがてその席を占めるのは騎士(サー)ガラハッドである。円卓はイングランド南部のウィンチェスター城に保存されているが、13世紀ごろのものと思われる。
円卓の騎士は諸国を巡り歩き、聖杯を尋ね、武勇を磨き、弱き(とりわけ女性)を助ける、いわば中世の騎士道を具現する存在であった。騎士たちの武勇伝については、12世紀から15世紀に至る間、イギリス、ドイツ、フランスを中心に多くの詩や散文が書かれた。代表的な騎士の名は、勇気と貞節の象徴的な存在サー・ランスロット、その子で聖杯を捜し当てるサー・ガラハッド、アーサー王の甥(おい)サー・ギャウェイン、イゾルデとの悲恋で知られるサー・トリスタン、血の滴る聖槍(せいそう)を見たサー・パーシバル、叔父のアーサー王に背き王に致命傷を与えるサー・モドレドである。円卓の騎士にまつわる物語は、ヨーロッパ中世文学の重要な部分となっている。
[船戸英夫]
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[騎士道映画とテクニカラー]
騎士道映画の隆盛はテクニカラー(カラー映画)とシネマスコープの普及に深く結びついている。その口火を切ったのがMGMのR.ソープ監督,ロバート・テーラー主演の三部作で,ウォルター・スコットの騎士道小説《アイバンホー》を原作にした《黒騎士》(1952),アーサー王伝説に基づく《円卓の騎士》(1953),これもスコット原作の《クェンティン・ダーワード》による《古城の剣豪》(1956)であった。とくにイギリスとフランスにロケーションを敢行し,初めてテクニカラーによって本物の中世の城をスクリーンに映し出した《黒騎士》の反響は大きく,それに加えてMGM初のシネマスコープ作品《円卓の騎士》の成功が刺激剤となって,1954年には,MGMに対抗して各社が競い合ってイギリス・ロケ,シネマスコープによる中世騎士道ものを次々に製作,コロムビアでは,シネマスコープではないがアラン・ラッド主演《男の城》,フォックスではロバート・ワーグナー主演《炎と剣》,ユニバーサルでは同社の第1回シネマスコープ作品としてトニー・カーチス主演《フォルウォスの黒楯》,ワーナー・ブラザースではレックス・ハリソン主演《獅子王リチャード》といった作品群が作られ,未曾有(みぞう)の騎士道映画ブームを巻き起こした。…
※「円卓の騎士」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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