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イタリアの政治 イタリアのせいじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

イタリアの政治
イタリアのせいじ

現代イタリア政治は,リソルジメント (国家統一) をもって始る。 1861年,それまで文化的統一を有するものの,封建的分裂状態にあったイタリアは C.カブールの巧みな政治指導のもとに国家統一をなしとげた。だが分裂の後遺症は残り,統一イタリアは各地方の利害関係の調整に苦慮し,形式的には議会制度をとってはいたものの,実際に機能していたのは政治ボスを中心とした徒党政治であった。労働問題,南北格差問題,宗教問題 (カトリックの政治介入) などの錯綜した対立関係の渦中でイタリア政治は統合能力を失い,短命な内閣が続いたが,20世紀初頭のジョリッティ内閣のもとでつかのまの安定を見出した。だがこの政治体制は無節操な多数派工作,高級官僚の抱込みなどを手段とし,諸勢力の均衡のうえにかろうじて成り立っていた。第1次世界大戦後の社会矛盾の深刻化のなかでこうした技巧的な政治はもはや機能しえなくなり,B.ムッソリーニの率いるファシスト党が暴力を支柱にして進出し,1922年には政権を掌握するにいたった。ムッソリーニは反対勢力を弾圧して全体主義的な組合国家体制を構築した。このファシズムと呼ばれる政治運動は,結局,民衆の政治意識が低く,民主的な政治制度を十分に機能させえなかったイタリアの政治的後進性の発現形態であったともいえる。第2次世界大戦後のイタリア政治は,キリスト教民主党 DC (現イタリア人民党 PPI) を中心にイタリア社会党 PSI,イタリア共産党 PCI (現左翼民主党 PDS) も参加した挙国一致内閣に始る。この1回を除き PCIは政権から排除され,DC中心の連立時代が続いた。この時代は 62年までの中道右派政権,76年までの中道左派政権,79年までのいわゆる歴史的妥協により PCIの閣外協力が行われた挙国一致体制時代,そして 94年までの5党連立 (91年から4党連立) の時代の4つに分れる。内閣の交代は頻繁で,その平均寿命は1年に満たなかったが,DC中心の体制に変化はなく,実質的な政権交代は行われなかった。しかし冷戦の終結に伴う国際情勢の変化と PCI自身の社会民主主義路線への転換が,PCIの対抗勢力としての DC中軸政権の意義を失わせ,長い間続いてきた政治腐敗も一挙に顕在化した。政治の刷新を求める国民の声は制度改革の動きを推進し,93年の国民投票を契機として選挙制度改革が行われた。新制度に基づく 94年総選挙で自由同盟による右派連立政権が誕生したが,96年には中道左派の「オリーブの木連盟」が第1党となり,さらに 98年ヨーロッパ主要国では初の旧共産党出身首班として,ダレーマ PDS書記長が首相に就任した。

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