イダルゴ
hidalgo
スペイン語で,12世紀末にそれまでのインファンソンinfanzónに代わって用いられ始め,当初は〈貴族の子弟・末裔〉を意味し,後に広義では貴族の総称となった。しかし,一般には爵位を持つ大貴族に対して,爵位のない最下級の貴族を指す。このイダルゴの身分は,国土回復戦争での功績に基づいて国王が授け,父から子へ継承された。社会的には直接税の免除,借財を理由に投獄されない,死刑に際しては不名誉とされた絞首刑の適用を免れる等の特権を持っていた。だが,彼らの自尊心の最大の根拠は国土回復戦争で信仰のために戦った事実または祖先の武功であり,自らも軍人であり続けることであった。
グラナダ王国(ナスル朝)の征服(1492)によって国土回復戦争が終わると,イダルゴは活躍の主要舞台を失った。一部は新天地インディアスに国土回復戦争の延長を目指したが,大部分はスペインにあってしだいに没落への道をたどった。軍事と農業以外には決して手を染めようとしなかったし,法と周囲の眼もこの規範を破る者から直ちにイダルゴの身分を剝奪したからである。だが,その反面,イダルゴたることは広くスペイン社会の熱い憧れの的となり,1520年代になると財政に窮した王権がこれを売って財源の一部とする一方,イダルゴの理念と価値観が社会全体を律した。その結果,イダルゴは17世紀スペインの没落原因の一端に数えられ,国力の再建を目指す18世紀のブルボン朝下の改革の過程で消滅への道を歩んだ。なお,黄金世紀(16~17世紀)のスペイン文学にはしばしば極貧のイダルゴがなかば定型化して登場するが,これは必ずしも当時の現実と一致するものではない。
執筆者:小林 一宏
イダルゴ
Miguel Hidalgo y Costilla
生没年:1753-1811
メキシコ独立運動の指導者。グアナファト近郊ドローレス村の司祭で,1810年9月16日〈ドローレスの叫び〉をあげ,原住民とともにスペインの植民地支配に対する独立戦争を開始。この日は現在,独立記念日となっている。奴隷制廃止を訴え,反乱軍を一気に首都に進撃させるかに見えたが,チワワで逮捕され死刑。その後,モレロスに率いられ,闘争は続けられた。
執筆者:大垣 貴志郎
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イダルゴ
いだるご
Miguel Hidalgo
(1753―1811)
メキシコ独立運動の指導者。「独立の父」とよばれている。鉱山地帯グアナフアト州の大農園管理人の子に生まれ聖職者となった。自ら農園を購入してブドウ栽培や養蚕を始めるなど、農業や手工業の近代化に努力し、他方ではヨーロッパ思想の影響も受けた。1808年ナポレオンがスペイン本国を占領すると、メキシコのスペインからの独立を目ざす運動が起こったが、イダルゴもこれに参加した。1810年9月16日、スペイン当局の弾圧をきっかけに、教区ドローレス村の民衆に対し武装蜂起(ほうき)を呼びかけた。これを「ドローレスの叫び」という。おもに下層民衆がこれに呼応し、1か月足らずで中北部一帯を支配下に置き、奴隷解放、原住民への土地の返還などを宣言した。そして、10月には8万人に達する民衆を率いてメキシコ市に迫った。しかし、下層民衆を恐れるクリオーリョ(メキシコ生まれの白人)の協力が得られず撤退した。翌年スペイン軍の反撃を受けて捕虜となり処刑された。しかし、独立運動は部下のモレロスに引き継がれた。
[野田 隆]
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イダルゴ
メキシコ独立運動の先駆者。グアナファト近郊ドローレス村の司祭。フランス革命思想の影響を受け,1810年9月16日インディオを主力として独立戦争を起こし,奴隷制廃止を訴えて首都へ向かったものの,チワワで逮捕,処刑される。
→関連項目グアダルーペの聖母|グアナフアト|メキシコ(国)
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イダルゴ(ミゲル)
Miguel Hidalgo y Costilla
1753~1811
メキシコ独立運動の指導者,神父。ヌエバ・エスパニャ植民地がメキシコとしてスペインから独立する過程で,1810~11年に最初の武装運動を指揮した。メキシコ独立の父とされ,独立運動を象徴する存在となっている。10年9月にグアナファト近郊のドロレスの町で蜂起し,先住民やメスティーソからなる下層階級の人々を集めて反スペイン武装闘争を開始し,メキシコ市に向かった。しかし翌年には政府軍兵力の前に敗退を重ね,チワワで処刑された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
イダルゴ
hidalgo
騎士の身分にある人を表わすスペイン語。この身分は王から直接与えられるか,または世襲の特権によるかのいずれかである。この語は 12世紀頃から現れ,hijo de algo (価値ある息子) から hijodalgoとなり,さらに短縮されて hidalgoになった。大貴族や郷士から小貴族を区別するために用いられ,免税の特権を有していた。
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イダルゴ
Miguel Hidalgo y Costilla
1753〜1811
“メキシコ独立運動の父”と呼ばれる神父
フランス革命の影響を受け,1810年小農やインディオの生活改善を叫んでスペインに対する反乱を開始,メキシコシティを襲撃したが,間もなく捕らえられて射殺された。しかしこの運動が,メキシコ独立運動の端緒となった。
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世界大百科事典(旧版)内のイダルゴの言及
【グアナフアト】より
…その繁栄のあとをとどめる歴史的建造物も多く,植民地時代の雰囲気を味わえる代表的観光地で,また1732年創立のグアナフアト大学がある文化の中心。1810年イダルゴの率いる独立革命軍の手に落ちた最初の重要な都市で,彼の最期の地でもある。【栗原 尚子】。…
【イベリア半島】より
…(b)中世全体を通じて移動の自由,領主選択権をもつベエトリーアス農民および奴隷(とりわけイスラム教徒奴隷)が存続しつづけた。(2)元来は騎士としての装備を自給できた自由人農民上層にすぎなかった村落騎士(民衆騎士)は中世末,伝統的な下級貴族身分であるインファンソネスと結びつき,[イダルゴ]層という新しい下級貴族・都市貴族身分を形成していく一方,都市部においては一般に,市民層の形成が希薄であった。(3)再征服運動の進展に伴い,[モリスコ],ユダヤ人など多くの異教徒をかかえることになった。…
【貴族】より
…その結果,13世紀以降,多くの地域で貴族の内部に階層分化が進行し,大きな所領をもつ高級貴族とこれに奉仕する下級貴族としての狭義の騎士身分の区別ができあがった。イギリスのナイトknights,フランスのシュバリエchevaliers,ドイツのリッターシャフトRitterschaft,スペインのイダルゴhidalgosなどがこの新しい騎士身分である。また,12,13世紀以来,自治都市が発展すると,市民共同体の内部でも富裕な上層市民の諸門閥が閉鎖的な〈[都市貴族]〉層を形成した。…
※「イダルゴ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」