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イドリース1世 イドリースいっせいIdrīs I

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

イドリース1世
イドリースいっせい
Idrīs I

[生]?
[没]793. ワーリラ
北アフリカ,マグレブ地方に興った最初の王朝イドリース朝 (789~926) の創建者 (在位 789~793) 。第4代カリフ,アリーの子のハサンの末裔といわれ,786年メッカ付近で起ったアリーの子孫を中心とする反乱に参加した。しかし,戦いに敗れ,エジプトを経てモロッコに逃れてイドリース朝を樹立し,アッバース朝第5代カリフ,ハールーン・アッラシードに対抗した。伝説によれば,ハールーンの送った使者に毒殺されたという。

イドリース1世
イドリースいっせい
Idris I

[生]1890.3.13. リビア,ジャラバブ
[没]1983.5.25. エジプト,カイロ
リビア国王(在位 1951~69)。フルネーム Sidi Muhammad Idris al-Mahdi al-Sanusi。1902年にキレナイカの指導者として父のあとを継ぎ,1916年には名実ともに指導者となった。リビア沿岸を領有していたイタリアとの交渉が合意に達すると,1917年にイドリースの権力が承認され,1919年に議会が創設された。だが,みずからを支持する部族の武装解除を拒否したため,1922年にイタリアがトリポリタニアに侵攻。第2次世界大戦後まで国外に亡命した。1949年,キレナイカと他の 2州がイドリースを元首とする立憲君主国として統一され,1951年にリビア連合王国として独立が宣言された。国王は議会に対する優越的権限と軍に対する絶対的支配権を保持し,富裕な都市住民と有力な部族指導者による寡頭制で成り立つ政府が国王を支えた。こうした体制に加えて,西側諸国の援助と国内の忠実な部族民の軍事的支持を受けることにより,イドリースは国内を統治できていた。しかし,軍の若手将校や拡大する都市中産階級層のなかには,保守的政策をとり,勃興するアラブ・ナショナリズムの潮流に無関心なイドリースに反発する者も多かった。1969年9月,病気療養のためトルコ滞在中に,ムアマル・カダフィ大佐率いる軍がクーデターを起こして政府を転覆。イドリースは当初ギリシアに逃れ,のちにエジプトへの政治亡命が認められた。1974年,汚職容疑で欠席裁判にかけられ有罪となり,1983年に亡命先のカイロでその生涯を閉じた。

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