コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

イブン・バットゥータ イブン・バットゥータ Ibn Baṭṭūṭa, Abū `Abd Allāh Muḥammad

3件 の用語解説(イブン・バットゥータの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

イブン・バットゥータ
イブン・バットゥータ
Ibn Baṭṭūṭa, Abū `Abd Allāh Muḥammad

[生]1304.2.25. 北部モロッコタンジール
[没]1368/1377
アラブ化したベルベル系の旅行家。 1325年メッカ巡礼のため故郷を出てから,未知の国々にひかれるままに,西アジア東アフリカ小アジア,クリミヤ,そのほか黒海の北部地方,中央アジアインド東南アジア,中国など広範な地域を旅行し,49年にひとまず帰国,まもなくスペイングラナダ西スーダンの黒人王国などを訪れた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

イブン・バットゥータ

アラブの大旅行家。北部モロッコのベルベル系の生れ。22歳から30年間,エジプトシリアアフリカ東岸,小アジア,南ロシア,中央アジア,スマトラ,中国などを歴訪,デリーの法官,モルディブ島の法官などを歴任。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

イブン・バットゥータ
いぶんばっとぅーた
Ibn Baa, Muammad b. ‘Abd Allh al-Tanj
(1304―68/77)

モロッコ生まれのイスラムの大旅行家。詳細な旅行記を残し、マルコ・ポーロと並び称されている。1325年6月、メッカ巡礼を志して単身故郷を出てから、北アフリカアラビア、東アフリカ、中東各地、バルカン、中央アジア、インド、東南アジア、中国を遊歴し、50年故郷タンジャ(タンジェル)に帰った。その翌年スペインのグラナダに行き、52年から翌年にかけてサハラ砂漠を越え、ニジェール川中流の黒人王国を訪れた。この長年月にわたる旅の間の見聞を、フェズに都したマリーン朝のアブー・イナーン王の命によって口述し、学者イブン・ジュザイイが文学的に修飾したのが『リフラ』または『都会の珍奇さと旅路の異聞に興味をもつ人々への贈物』(邦訳は『三大陸周遊記』)となった。行程約10万キロメートル、メッカ大祭に参列すること7回、14世紀のイスラム世界の政治、経済、社会、文化の各方面の事情を伝える不朽の古典として、アラビア語文学史上に光彩を放っている。長途の旅でたびたび危難にあい、記録類を失ったりしたため、記憶の誤りや、イブン・ジュザイイによって飾られ、ゆがめられた箇所などもある。しかし、インドのデリー滞在は34年から43年までに及んでいるし、オスマン朝勃興(ぼっこう)時代の小アジア、ニジェール川流域の黒人王国などについての報告など、ユニークな価値をもつ部分が至る所にちりばめられている。[前嶋信次]
『前嶋信次訳『三大陸周遊記』(1977・河出書房新社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

イブン・バットゥータの関連キーワードモロッコモロッコ事件モロッコ革モロッカンアルホセイマナドールプチソッコモロッコ水晶の謎モロッコへの道モロッコ飛蝗

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone

イブン・バットゥータの関連情報