イワーノフ(英語表記)Ivanov, Aleksandr

  • Aleksandr Andreevich Ivanov
  • Ivanov, Lev
  • Ivanov, Vsevolod Vyacheslavovich
  • Vsevolod Vyacheslavovich Ivanov
  • Vyacheslav Ivanovich Ivanov

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

[生]1806. ペテルブルグ
[没]1858. ペテルブルグ
ロシアの画家。青年時代,ローマでナザレ派一員として制作。新旧約両聖書をテーマとして宗教画を描いたが,キリストを人間存在として描こうとする彼の態度は,ロシアの宗教画に多くの影響を与えた。主要作品は,1837~57年の長期間にわたり,25回も構想を変更して描かれたという大作民衆の前に現れたキリスト』 (トレチヤコフ国立美術館) 。明るい色調で風景画も描いた。
[生]1834.2.18. モスクワ
[没]1901.12.24. サンクトペテルブルグ
ロシアの舞踊家。サンクトペテルブルグの帝室バレエ学校(→マリインスキー劇場バレエ団)の振付家で,19世紀最大の舞踊家といわれる。1885年同バレエ団の第2バレエ・マスターとなり,首席振付家マリウス・プティパもとで『くるみ割り人形』(1892)や『白鳥の湖』(1895)の第2,第4幕などを共同振り付けした。またピョートル・L.ヘルテルの『ラ・フィーユ・マル・ガルデ』(1882)を復活した。音楽的才能には恵まれたが,プティパの名に隠れ,不遇のうちに生涯を閉じた。(→バレエ
[生]1895.2.24. セミパラーチンスク
[没]1963.8.15. モスクワ
ソ連の作家。 1915年から創作活動を始め,革命直後,赤軍に入ってシベリアで国内戦に参加。 20年ペトログラードに出て,最初「セラピオン兄弟」グループに属し,国内戦での自己の体験をもとに書いた『装甲列車 14-69』や『パルチザン物語』 Partizanskie povesti (1923) によって,ソ連文学の初期を代表する作家となった。自伝的長編『奇術使いの冒険』 Pokhozhdeniya fakira (34~35) ,その続編われらはインドへ行く』 My idem v Indiyu (60) をはじめ,史劇評論回想紀行文などを残した。

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百科事典マイペディアの解説

ロシアの画家。ペテルブルグ生れ。1831年から1858年までローマに住み,ナザレ派的な宗教感情とアカデミックな様式とをまじえながら主に宗教画を描いた。代表作は《人々の前に現れたキリスト》(1837年―1857年,モスクワ,トレチャコフ美術館蔵)など。
ロシアの舞踊家,振付家。ペテルブルグに生まれ,その地の帝室舞踊学校を卒業後,ペテルブルグ・ボリショイ劇場(現マリインスキー劇場)に入団。1885年副バレエ・マスターとなり振付に着手。首席バレエ・マスターのプティパが病気のために,彼に代わって《くるみ割り人形》の振付を行い,1892年に初演,成功を収めた。1894年チャイコフスキーの追悼公演のために《白鳥の湖》の第2幕を上演。翌1895年にはプティパとの共同で全幕上演(イワーノフの振付は第2,4幕)。後世,《白鳥の湖》は多くの振付家によって改訂されたが,第2幕だけは原振付のまま上演されることが多く,イワーノフの名を不朽のものにしている。
ロシア(ソ連)の作家。革命後のシベリアでの国内戦の体験をもとにした《装甲列車14―69》(1922年)は,作者によって劇化され(1927年上演),ソビエト演劇史に残る名作となった。

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世界大百科事典 第2版の解説

1806‐58
ロシアの画家。ペテルブルグに生まれ,1827年美術学校を金賞で卒業。だが一部から卒業制作には政治批判が暗示されていると非難された。30‐57年イタリアに遊学して古代美術とルネサンス絵画の形態色彩を研究。歴史および聖書を題材として,いかに時代の要求を反映させるかに苦悩し,外光による人物描写の習作を20年余も重ねて《人びとの前に現れたキリスト》(1857)を完成した。描かれた群衆は当時の社会の縮図であり,救済者の出現を待ち望む姿であった。
1866‐1949
ロシアの詩人,文芸理論家。モスクワ大学文学部からベルリンに留学,ローマ史を専攻した。《導きの星》(1903),《透明》(1904)の2詩集で象徴派詩人としての地位確立,その後はニーチェ,ソロビヨフの影響下に,悲劇起源としてのディオニュソス崇拝,神話をなす〈象徴〉の発見,〈神話創造〉行為としての演劇といった問題提起を軸に,後期象徴派の指導的理論家となった。《星めぐり》(1909),《》(1916)などの論文集があり,ドストエフスキー論はとくに有名。
1895‐1963
ソ連邦の小説家。シベリアの田舎教師の家に生まれ,早くから家を出て放浪し,さまざまの職業を経験した。ゴーリキーの影響のもとに作家活動を始め,1921年ペトログラード(現,サンクト・ペテルブルグ)に出て〈セラピオン兄弟〉グループの一員になった。アジアでのパルチザン戦の様相を色鮮やかな装飾的文体で描いた中編小説《パルチザン》(1921),《装甲列車14‐69》《色ある風》(ともに1922)などによって,ソビエト散文の最初の代表者として揺るぎない名声を獲得した。

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世界大百科事典内のイワーノフの言及

【ロシア・ソビエト美術】より

…ナポレオン戦争の勝利は愛国心を目ざめさせ,歴史画,風俗画,風景画などすべてのジャンルの絵画が誕生した。さらに19世紀中期には,A.A.イワーノフのような国民の意識改革を促す者も現れた。1850年代末から60年代は,専制政治下の社会批判を含む傾向が強まり,V.G.ペローフのように絵筆により社会の最下層階級の悲哀を訴える画家たちの登場を見る。…

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