コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

インティファーダ Intifada

翻訳|Intifada

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

インティファーダ
Intifada

イスラエルの占領地においてパレスチナ住民により組織的に展開された占領支配に抵抗する運動。語義は,「頭を上げる」「(恐怖を)振り払う」から転じて「蜂起」を意味することとなったアラビア語。1987年12月,ガザ地区の中心都市ガザにおける交通事故が口火となり,その後占領地全域を覆う組織的な抵抗運動へと発展した。パレスチナ側がおもに投石や道路遮断,イスラエルへの納税拒否,イスラエル商品の不買などの手段に訴えたのに対し,イスラエル側は「鉄拳政策」と称して武力的な鎮圧を強行したため,死者は 1500人,逮捕者は延べ 5万人をこえ,国際的にも大きな反響を呼んだ。騒乱が自国に波及することを恐れたヨルダンのフセイン国王は 1988年7月,イスラエル占領下のヨルダン川西岸を公的に切り離すと宣言,またパレスチナ解放機構 PLOは 1988年11月,パレスチナ国家の独立を宣言(→パレスチナ国家問題)するなど,インティファーダは占領地の住民が政治的な主体性を確立するきっかけとなった。湾岸戦争を経て 1991年10月からアメリカ合衆国主導の中東和平会議が開催され,また 1993年にイスラエルが PLOとの間に相互承認と暫定自治容認を含むパレスチナ暫定自治協定(オスロ合意)を成立させた背景には,インティファーダで示された占領地住民の憤懣を無視できなくなった事情もある。しかし和平交渉は遅々として進まず,期待はずれの状況にいらだちをつのらせていた住民は 2000年9月,イスラエル右派によるエルサレム聖域への強行立ち入りに反発して,第2次インティファーダ(アルアクサ・インティファーダ)を起こした。武装蜂起の様相を呈した騒乱は,イスラム過激派の自爆テロ作戦などによって激しい暴力の応酬へと展開し,前回に層倍する犠牲者を出して和平交渉そのものを形骸化させた。新たなインティファーダへの自衛措置としてイスラエルは,2003年以降みずから定めた境界に沿って「分離壁」の建設を始めたが,このことは和平交渉の展望をいっそうせばめる結果となった。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

知恵蔵の解説

インティファーダ

1987年末、イスラエル占領地でパレスチナ人が一斉に投石などでの抗議行動を開始した。これを第1次インティファーダと呼ぶ。この鎮圧に失敗したイスラエルは、力だけではパレスチナ人の民族主義を抑えることはできないと悟った。93年のオスロ合意を受け、抗議行動は一応の終息を見た。2000年9月末、シャロンが多数の護衛を従えてエルサレムのイスラムの聖地(ハラム・アル・シャリーフ)に入った。これにパレスチナ人が反発、占領地全域でイスラエル当局と衝突した。イスラエル国内のアラブ人地区でも、抗議運動が発生。このパレスチナ人の蜂起を、聖地内のアル・アクサー・モスクの名を冠してアル・アクサー・インティファーダと呼ぶ。オスロ合意以前のインティファーダの再燃との視点に立てば、第2次インティファーダでもある。蜂起の背景には、1993年以来の中東和平プロセスの成果があまりに乏しかったというパレスチナ人の不満がある。第1次インティファーダにおいては投石などの手段が主流であったのに対し、第2次インティファーダでは小火器、迫撃砲、さらには手製のロケット弾などがパレスチナ側によって使用された。またイスラエル国内での、パレスチナ人による自爆攻撃も続発している。対するイスラエルは、戦車、ジェット戦闘爆撃機、ミサイル搭載ヘリコプターなどの圧倒的な火力でパレスチナ側を攻撃、さらにパレスチナ人の指導層を「テロリスト」として、次々と暗殺した。その上、ヨルダン川西岸では、交渉によってパレスチナ人が自治を始めていた地域の大半を再占領した。05年1月、アッバスがパレスチナ人の指導者となって以来、事態は一時、鎮静化した。しかし06年にイスラエルを認めないハマス政権が成立し、同年7月にイスラエル兵士1人がガザへと拉致されると、イスラエルはガザを封鎖した。しかもヨルダン川西岸ではハマスの評議会議員を次々と拘束した。占領と抵抗というインティファーダの構図が続いている。

(高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について | 情報

デジタル大辞泉の解説

インティファーダ(〈アラビア〉Intifada)

《蜂起の意》ガザで起こった、イスラエルの占領に対するパレスチナ人の民衆蜂起。特に、1987年に起こり、1993年、パレスチナ暫定自治協定の調印を受けて沈静化したものを指す。
[補説]のち、2000年にも起こったので、1987年に起こったものを第一次インティファーダ、2000年に起こったものを第二次インティファーダともいう。

出典|小学館デジタル大辞泉について | 情報 凡例

百科事典マイペディアの解説

インティファーダ

アラビア語で〈振り払うこと〉の意。パレスティナにおける対イスラエル民衆蜂起をさす。1987年12月イスラエル占領下のガザ地区で起きた交通事故を機に,大衆の投石,ストなどによる抗議行動が発生,ヨルダン川西岸地区にも拡大した。
→関連項目ハマース

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

大辞林 第三版の解説

インティファーダ【Intifada】

〔振り払うの意〕
イスラエルの占領に対するパレスチナ人の抗議運動。1987年に始まったヨルダン川西岸地区およびガザ地区での民衆闘争。2000年に再燃した民衆闘争は第二次インティファーダと呼ばれる。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

インティファーダの関連キーワードシャウル モファズパレスチナ自治政府パレスチナの分離壁西アジア史(年表)パレスティナ問題イスラム抵抗運動モシェ ヤアロンパレスチナ自治区ヨルダン(国)パレスチナ問題南レバノン問題Y. ラビンヤシン

今日のキーワード

首相指名

首相(内閣総理大臣)は国会議員の中から国会の議決で指名する(憲法67条)。衆参両院が異なった人を指名した場合、両院協議会でも意見が一致しない時は、衆院の議決を国会の議決とする。首相は文民でなければなら...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

インティファーダの関連情報