20世紀におけるもっとも重要な哲学者のひとりで,いわゆる分析哲学の形成と展開に大きな影響を与えた。ウィーンのユダヤ系の家庭に生まれ,1908年以後は主としてイギリスで活動し,オックスフォードで没した。彼の哲学の発展はふつう前・後期の2期に分けられるが,前期の思想は生前公刊された唯一の著書である《論理哲学論考》(1922)に集約されており,フレーゲおよびB.A.W.ラッセルとの関係が深い。他の著作はすべて弟子たちの手で遺稿から編纂され,とくに《哲学探究》(1953)が後期の代表作とされる。なお,《論考》の発表後しばらく哲学から離れていた彼が再渡英し,ケンブリッジ大学に戻った29年から,この《探究》の執筆を始める36年ころまでを〈中期〉と呼んで区別することもある。すべての時期を通じて彼の哲学は,言語の有意味性の源泉を問い,言語的な表現と理解の根底にあってこれを可能ならしめている諸条件を探究するものであった。しかし前期の思想と(中)後期の思想のあいだにはかなり顕著な性格の違いがあり,その影響も異なる方向に働いた。同じく言語の明晰化を主目的とする分析哲学者でも,記号論理学による科学言語の構成を目ざすひとは《論考》を尊重し,日常言語の記述によって伝統的な哲学問題の考察をすすめるひとは《探究》から学んだ。なお中期の著作としては《青色本・茶色本》《哲学的考察》《哲学的文法》があり,後期には《探究》のほかに《断片》《確実性の問題》などがある。第2次大戦後の日本でも彼の哲学に対する関心は活発で,研究書や論文の数も多い。
前期《論考》の哲学では言語の基本的な構成単位を〈要素命題〉と呼ぶが,これは例えば画像や立体模型と同様に,一定の事実を写す〈像〉であると考えられ,それら要素命題から論理的に構成されたものとして分析できる命題だけが有意味と認められる。彼はこの原子論的な言語観に基づき,世界の諸事実を記述する経験科学の命題と,もっぱら言語の形式にかかわる数学・論理学の命題を峻別した。また形而上学的な〈自我〉や価値・倫理などの伝統的な哲学問題は元来〈語りえぬ〉もの,言語ないし世界の限界の外にあるものとする。一見すると《論考》の哲学は,論理実証主義者の反形而上学的な科学哲学を先取りしたもののようであるが,じつは彼の真意は,人間の根本の生きかたにかかわる問題をあくまで尊重し,これらを〈内側から限界づけ〉て事実問題との混同を防ぐところにあった。その後彼は《論考》の言語観にみずからきびしい批判を加え,しだいにあらたな考察の地平を切り開いていったが,その際とくに重要な意味をもったのは〈自我〉の問題である。《論考》の中核である〈像の理論〉は,要素命題の記号を言語外の対象に対応づけ,命題を事実の写像たらしめる主観の作用を暗黙のうちに前提していた。これは言語主体たる〈私〉を有意味性の根源とすることであり,そのかぎり,〈私の言語の限界〉をもって世界そのものの限界とする独我論の立場を脱することはむずかしい。後期のウィトゲンシュタインは,こういう〈私的言語〉の想定が《論考》のみならず広く哲学的な言語解釈の根源になっていることを見抜き,この想定の背理と不毛を徹底的に追及した。この批判作業を通じて,後期における〈言語ゲーム〉の哲学の基礎が固められる。言語は物理的な記号配列や,これに意味付与する精神作用としてではなく,一定の〈生活形式〉に基づき,一定の規則にしたがって営まれる〈行為〉として考察されることになった。さまざまな言語ゲームの観察と記述によって彼は哲学の諸問題を解明したが,最晩年には古典的な〈知と信〉の問題に深く踏みこみ,言語ゲームそのものを支える〈根拠なき信念〉をめぐって思索した。後期の哲学は社会・文化・歴史など,人間生活の諸相につき示唆するところが多い。
→分析哲学 →論理実証主義
執筆者:黒田 亘
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…この私的な感覚的経験と物世界との関係をめぐる問題はその後も一貫して科学的認識の根拠に関する基本問題として生き続けている。ウィトゲンシュタインによって深められたと言われる〈私的言語〉の問題もその一例である。(2)科学理論の構造 また,現実の科学理論がいかにして構築され,いかなる構造をもち,また,それがいかに対象に妥当するかということも科学哲学の基本的課題である。…
…メルロー・ポンティはゲシュタルト心理学を基礎に知覚の現象学的分析を行い,要素的経験ではなく〈地の上の図〉として一まとまりの意味を担った知覚こそがわれわれの経験の最も基本的な単位であることを提唱し,要素主義や連合主義を退けた。また後期のウィトゲンシュタインは,言語分析を通じて視覚経験の中にある〈として見るseeing as〉という解釈的契機を重視し,視覚経験を要素的感覚のモザイクとして説明する感覚与件理論の虚構性を批判した。このように現代哲学においては,合理論と経験論とを問わず,純粋な感覚なるものは分析のつごう上抽象された仮説的存在にすぎないとし,意味をもった知覚こそ経験の直接所与であると考える方向が有力である。…
…意識の諸現象はみな身体という,客観であると同時に主観でもある両義的な存在の世界へのかかわりとして解釈されている。また言語分析の方法によるものとしては,G.ライルの《心の概念》(1949)がデカルト的二元論の批判に成果を収めたが,より根本的・持続的な意義をもつのはウィトゲンシュタインの《哲学探究》(1953)で,伝統的な心の概念の根底である私的言語の見解に徹底的な吟味を加え,〈言語ゲーム〉や〈生活形式〉を基本概念とする新たな哲学的分析の境地を開いている。これらに共通するのは心にまつわる理論的先入見を取り除き,生活世界の経験に立ち返って心の諸概念をとらえ直そうという態度である。…
…ウィトゲンシュタインが《哲学探究》で用いた重要な概念の一つで,感覚,感情,意志,思考といった内的な体験をまったく自分だけのために記録する言語を想定して名付けた。この言語に属する単語は内的直接的な現象のみを指し,外から観察できる表情や動作とは無関係に意味がきまっているので,他人には通じない。…
…言語の意味とはその使用規則なのであり,言語の理解も,意味の直観といった心的過程ではなく,一定の規則に従った言語の使用能力と解されるわけである。ただし,一般に論理実証主義の先駆とされているウィトゲンシュタインが,言語使用の条件として,語の配置などのような内部構造や諸形式が〈示され〉ていることを要請していたのは注目に値する。彼にとって,〈示される〉ものは〈語られ〉えず,ただ直観されるべきものだったのである。…
…一方,観念論哲学に反対の立場からは,独我論への傾斜をもってこの哲学の根本欠陥とする批判が繰り返されてきた。20世紀ではウィトゲンシュタインが,独我論についてもっとも深く考察している。彼は《論理哲学論考》で,私の理解する言語の限界がすなわち〈私の世界の限界〉であり,したがって私と私の世界とは一つであると述べ,言語主義的独我論とも呼ぶべき思想を提示した。…
…言語使用のあり方は人工言語学派の考えるように形式的に法則化できず,とくに使用の具体的条件に依存すると考えるからである。日常言語への定位は,存在や善の概念を分析したケンブリッジ大学のG.E.ムーアによって先鞭をつけられ,日常的言語使用のあり方は中期以降のウィトゲンシュタインの考察の中心となった。一方,オックスフォード大学のJ.L.オースティン,G.ライル,ストローソン等もやや独立に日常言語の分析から哲学的問題に接近した。…
…知的探究とそのための諸制度にかかわる知識,すなわち認識論は,むしろ今日において,もっとも現実的な課題を抱えているといえよう。かつて超越論的哲学の理想を追ったフッサールが晩年には〈生活世界の現象学〉に思いをひそめ,はじめは〈論理形式〉を基本概念の一つとして認識の言語の本質構造を照明したウィトゲンシュタインは,やがて〈生活形式〉を究極の支えとする言語ゲームの哲学に転じた。もちろん偶然の一致ではあるまい。…
…むしろ論理学の人工言語こそわれわれに存在の構造を教えてくれる。彼が若きウィトゲンシュタインの影響のもとに書いた《論理的原子論の哲学》(1918)はこの思想をよく表している。 ラッセルに影響を与えたウィトゲンシュタインは《論理哲学論考》(1922)において,ラッセルよりもさらに徹底して世界を単純・独立な〈事態〉の複合として,〈事態〉をまた〈対象(実体)〉の連鎖としたが,それは世界を完全に明瞭に表現したときの言語表現に〈示される〉ものと考えた。…
…哲学者ウィトゲンシュタインが生前公刊した唯一の著書。1921年にドイツの学会誌に掲載され,翌年イギリスでラテン語の題名《Tractatus Logico‐Philosophicus》をつけた独英対照本が出版された。…
※「ウィトゲンシュタイン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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