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ウィルヘルム[1世] ウィルヘルム

百科事典マイペディアの解説

ウィルヘルム[1世]【ウィルヘルム】

プロイセン国王(在位1861年―1888年),ドイツ皇帝(在位1871年―1888年)。フリードリヒ・ウィルヘルム3世の弟。政治面でビスマルク,軍事面でローンモルトケらの人材を登用,ドイツ統一を実現してドイツ帝国初代皇帝となる。
→関連項目ウィルヘルム[2世]エムス電報事件

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世界大百科事典 第2版の解説

ウィルヘルム[1世]【Wilhelm I】

1797‐1888
プロイセン王。在位1861‐88年,1871年以降ドイツ皇帝。プロイセン王フリードリヒ・ウィルヘルム3世の第2子であったが,嗣子のない兄王フリードリヒ・ウィルヘルム4世の皇太子となる。1848年三月革命では革命派の軍事的弾圧で名を馳せ,〈散弾王子〉と酷評される。61年プロイセン王となり,ビスマルクを首相に任命,軍備増強政策を推進,下院と衝突。普墺戦争普仏戦争に勝利をおさめ,71年新生ドイツ帝国の最初の皇帝となる。

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世界大百科事典内のウィルヘルム[1世]の言及

【プロイセン】より

… これ以後,プロイセン公国は,ホーエンツォレルン家のもとに,同君連合のかたちで,歴代のブランデンブルク選帝侯の支配をうけるが,プロイセンに対するポーランドの宗主権はなおも存続した。ようやく〈大選帝侯〉フリードリヒ・ウィルヘルム(在位1640‐88)のとき,スウェーデン・ポーランド間の戦争(1655‐60)に乗じて,ブランデンブルクはポーランドからプロイセン公国における完全な主権を獲得し(1657),1660年のオリバOliva和約でこの主権はスウェーデン・ポーランド両国により承認された。 プロイセン公国でも,ブランデンブルクにおけると同様,16世紀以来ユンカー(地方貴族)の農奴制的な直営地経営(グーツヘルシャフト)が発展していた。…

【ホーエンツォレルン家】より

…そして1615年,プロイセン公家の断絶とともに,ブランデンブルクのホーエンツォレルン家がプロイセン公をも兼ねることとなる。40年にフリードリヒ・ウィルヘルムが登位するまで,ブランデンブルクは有能な君主に恵まれなかったが,かねてより展開されていた婚姻政策の結果,1614年にはライン下流域に,小さいながら商工業の進んだクレーベ公国とマルク伯領を獲得した。 フリードリヒ・ウィルヘルムが,ブランデンブルク・プロイセンの貴族(ユンカー)の政治権力を打ち破り,絶対主義への道を切り開いてのち,次の選帝侯フリードリヒ3世は,スペイン継承戦争で皇帝を支援する代償として,プロイセン王の称号を授けられ,フリードリヒ1世と称した。…

※「ウィルヘルム[1世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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