ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウルバヌス2世」の意味・わかりやすい解説
ウルバヌス2世
ウルバヌスにせい
Urbanus II
[没]1099.7.29. ローマ
フランス出身の第159代教皇(在位 1088~99)。福者。本名 Odon; Eudes。ベネディクト会士(→ベネディクト会)。貴族出身で,1070年頃クリュニー修道院で修道士となる。1078年に教皇グレゴリウス7世によりオスチア司教と枢機卿(→カーディナル)に叙任された。1084年,叙任権論争で教皇と対立した神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の軍がローマを包囲し,皇帝が擁立した対立教皇勢力によって追放されたが,1088年3月にローマの南,テッラチーナで教皇に選出された。グレゴリウス7世の教会改革を引き継いで推進し,聖職売買と俗人による聖職叙階を禁じ,東西両教会の分裂からの再統合に努めた。1095年のクレルモン教会会議では十字軍を提唱。翌 1096年に十字軍が派遣され,1099年にトルコ軍から聖地を奪還,エルサレム王国が建設された。また 1088年にはベルベル人から奪回したスペインにトレド大司教区(→トレド)を再建するなど,教皇権を高揚させた。ケルンのブルーノは友人であり助言者であった。1881年教皇レオ13世により列福された。
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