古代ギリシアの軍人,政治家。エパミノンダスともいう。テーバイの出身。友人ペロピダスと協力してテーバイの勃興に貢献した。ピタゴラス派の哲学を学んだこと以外,初期の経歴は不明。前371年,スパルタとの交渉でテーバイによるボイオティア支配の承認を迫って決裂,レウクトラの戦となる。彼はこの戦いに,従来の重装歩兵密集隊戦術に改良を加えて,左翼を厚くした〈斜線陣形〉を導入し,スパルタ軍を大敗させた。前370-前369年にペロポネソス半島に侵入し,スパルタへ進出してヘイロータイ身分に落とされていたメッセニア人を解放し,メッセネ市を首都とする独立国家を樹立させた。前364年にはアテナイの海上支配に対抗し,船隊を率いてエーゲ海を航行した。前362年,4度めのペロポネソス半島侵入を行うが,マンティネイアの戦でスパルタ・アテナイ連合軍と交戦,戦死した。彼の死後テーバイの勢力は急速に衰えた。
執筆者:前沢 伸行
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?~前362
ギリシアのテーベの将軍,政治家。ペロピダスと結んで国力の充実を図り,とりわけ斜線陣戦法を案出してレウクトラの戦いにスパルタ軍を破り,テーベの覇権を確立した。マンティネイアの戦いで戦死。以後テーベの勢いは衰えた。
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…ペロポネソス戦争中はスパルタの同盟国としてアテナイ打倒に貢献したが,戦果をめぐりスパルタと不和になり,コリントス戦争では反スパルタ連合側に加わった。いわゆる〈大王の和約〉成立(前386)後の前382年にスパルタはカドメイアを占領したが,3年後テーベの亡命者たちはその奪還に成功し,ペロピダス指揮のもとスパルタとの対立を深め,前371年のレウクトラの戦でエパメイノンダスの作戦によってスパルタ軍に勝利し,以後9年間テーベはギリシア世界の覇権を握ることとなった。エパメイノンダスは,メッセニアを数世紀にわたるスパルタ支配から解放して,メガロポリス建設を援助し,またアルカディア同盟を組織することによってスパルタの勢力失墜を決定的にした。…
…現在のメガロポリスMegalópolisの北方約1.8kmにある。スパルタに対抗するため,テーバイの将軍エパメイノンダスとアルカディアの住民が協力して,前368‐前367年に〈アルカディア同盟〉の首都として建設し,40の都市や町が植民に参加した。メガロポリスはテーバイやマケドニアと同盟関係にあり,後には〈アカイア同盟〉に加わった。…
…そこでスパルタ王クレオンブロトスKleombrotosはボイオティアに侵入してテーバイ近郊のレウクトラLeuktraに陣を敷いた。兵力はスパルタ同盟軍が優勢であったが,エパメイノンダスは新たに斜形陣と呼ばれる戦法を用いてスパルタ軍を破った。スパルタは王をはじめ市民兵に大打撃を蒙り,テーバイはこれを機にギリシアに覇を唱えた。…
※「エパメイノンダス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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