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オルガンティーノ Gnecchi-Soldo Organtino

大辞林 第三版の解説

オルガンティーノ【Gnecchi-Soldo Organtino】

1530~1609) イタリア人イエズス会宣教師。インド・マラッカで布教ののち、1570年来日。織田信長に信任され、京都を中心に近畿地方で布教・教育活動を行う。京都に南蛮寺、安土に修道院・教会を建てた。豊臣秀吉の時代に迫害され、長崎に移りそこで死去。ウルガン-バテレン。

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世界大百科事典 第2版の解説

オルガンティーノ【Gnecchi Soldo Organtino】

1533‐1609
イタリアのカスト・ディ・バルサビア出身のイエズス会宣教師。1556年にすでに司祭職にあり,のちイエズス会に入る。66年インド布教を命じられ,翌年ゴアに至る。70年(元亀1)6月布教長カブラルとともに天草の志岐に到着,ルイス・フロイス補佐のため畿内に派遣される。フロイスが九州に去った後は都地方の布教責任者を務め,被昇天の聖母教会(南蛮寺)を建て,76年(天正4)8月15日最初のミサをささげた。織田信長の厚遇を得,80年安土に土地を賜って神学校(セミナリヨ)と教館Casaを建てた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

オルガンティーノ
おるがんてぃーの
Gnecchi-Soldo Organtino
(1530/33―1609)

イエズス会士。イタリアのカスト・ディ・バルサビアに生まれ、1556年フェラーラでイエズス会司祭となった。70年(元亀1)6月天草(熊本県)の志岐(しき)に上陸し、同年布教のために京都へ派遣、以後30年以上にわたって京都で活動を続け宇留岸伴天連(ウルガンバテレン)と愛称され親しまれた。織田信長の厚遇を受け、安土(あづち)に土地を得てセミナリオ(小神学校)と司祭館を建て、京都にも南蛮(なんばん)寺(教会)を建築した。日本人の優秀さを認め、日本文化への順応主義を唱え、布教長カブラルと対立した。1605年(慶長10)長崎のコレジオ(大神学校)に移り、09年4月22日、長崎に没した。[宮崎賢太郎]

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世界大百科事典内のオルガンティーノの言及

【キリシタン】より

…畿内の諸領主と庶民は救霊を第一とした熱心な信者が多く,結城山城守忠正,高山父子,池田丹後守,小西父子等の武将が受洗し,彼らは畿内キリシタンの中核として教会を支え,70年(元亀1)以降の織田信長・豊臣秀吉時代に至るキリシタン興隆の礎となった。70年来日した布教長カブラルオルガンティーノを畿内に配し,同年および74年(天正2)に畿内巡察を行い信長に謁した。信長の政治的地位の上昇・確立に伴い教会勢力も増大し,77年3階建ての教会(南蛮堂,南蛮寺)が落成した。…

※「オルガンティーノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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