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オーストリア演劇 オーストリアえんげき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

オーストリア演劇
オーストリアえんげき

ウィーンを中心に復活祭で行われたオーストリアの中世受難劇は,やがてラテン語から自国語へ,教会から民衆の手へと移り,世俗的要素を強め,より演劇的形態へと発展していった。 14世紀から 15世紀初めにかけて盛んであった「ナイトハルト劇」も,ギルドなどによって演じられた明るく粗野な民衆の世俗喜劇である。 16世紀なかばから,中世演劇に代って反宗教改革的なジェズイット劇が演劇の主流を占め,17世紀前半にかけて全盛期を迎え,1620年には専用の劇場をもつまでにいたった。代表的作品はアバンシナスの『信仰の勝利』 (1659) 。また喜劇の分野では,16世紀末にドイツ語が用いられるようになった。ジェズイット喜劇は,コメディア・デラルテやイギリスの巡業喜劇団の影響を受けて,農民喜劇へと展開,J.シュトラニツキーが創始したザルツブルク農民の道化ハンスウルストが人気を得た。その後 17世紀から 18世紀なかばにかけては,イタリアの影響が強かったが,18世紀中期になると,ドイツの K.E.アッケルマン,J.F.シェーネマン,C.ノイバーらの劇団が,シェークスピアやモリエールをオーストリア各地で上演した。 1741年にはウィーンにマリア・テレジアによってブルク劇場が開設された。しかし,劇作家の登場は,19世紀初めの F.グリルパルツァーを待たなければならなかった。彼の3部作『金羊皮』 (1821) は,オーストリア近代劇の最初の作品である。その後 L.アンツェングルーバーやシェーヘルは農民生活を写実的に描いた作品を書いた。オーストリア=ハンガリー帝国崩壊期に現れたのが H.ホーフマンスタールと A.シュニッツラーである。ホーフマンスタールは『痴人と死』 (93) などのほか,『エレクトラ』その他の古典の改作を試み,また R.シュトラウスのために『薔薇の騎士』 (1911) をはじめとする多くのオペラの台本も書いた。シュニッツラーは『輪舞』 (1900) その他で,ウィーン崩壊時代を背景に,人生の倦怠から恋愛遊戯のなかへ逃避する人々を印象派的手法で描き,時代に対する悲痛な怒りとともに,人間の心の深部への鋭い洞察力をみせた。そのほか,第1次世界大戦後の作家としては,S.ツワイク,風刺作家であると同時にシェークスピアのドイツ語完訳を行なった K.クラウスがあげられる。第2次世界大戦後は,方言を用いた伝統的な民衆劇の要素を生かしながら現代的な手法を取入れた O.ホルバート,W.バウアーらの一派と,出生の謎をもつ K.ハウザーの事件を扱って言語の本質的な問題を追究した P.ハントケらのウィーン・グループの活躍が目立つ。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

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