精選版 日本国語大辞典 「ギルド」の意味・読み・例文・類語
ギルド
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西ヨーロッパの中世において、商人や手工業者などの自営業者が、キリスト教の友愛精神に基づき、生活のさまざまな面で相互に助け合うために結成した身分的な職業団体である。初期の商人組合の場合は、商人だけではなく、各種の手工業者も参加していたが、のちになって同種の手工業者ごとに同職組合が結成される。自発的な団体結成が普通であるが、都市の領主の影響力も認められる。ドイツ語ではツンフトともいう。なお、中国にも行(こう)や作(さく)とよばれる同業者の団体があった。
[寺尾 誠]
ローマ帝国やビザンティン帝国の地域的な商人、手工業者の強制団体に起源を求める説、北欧の義兄弟誓約関係の説などは、それぞれの地域には多少妥当しても、一般的には当てはまらない。また荘園(しょうえん)団体説のように、農村における荘園法の下での手工業者団体が都市に移植されたという説もあまり支持されていない。中世ヨーロッパの封建社会が整えられていくなかで、血縁的要素の、より少ない地縁的共同体として、中世都市が成立、発展する。その共同体の公権力である都市当局が、封建領主から自治の権力を徐々に獲得していく一方、商人や手工業者が自らの家父長的家政経営を物心両面で守る目的で、友愛的な相互扶助団体を自発的に結成したのである。それは中世都市に固有な身分的職業団体である。すでにカロリング時代の法令に誓約団体の存在が確認されている。それらの団体形成はフランク国家への危険とみなされていた。だが本格的にギルドが結成されていくのは、中世都市の成立が始まる11世紀以降である。
イギリスでは11世紀前半にケンブリッジなど3都市の友愛団体に関する法令がある。フランスでは12世紀に入ると、パリ、ルーアン、シャルトルに手工業者のギルドが存在しているし、ドイツでも11世紀末にマインツ、12世紀に入るとウォルムス、ウュルツブルク、ケルンに記録がある。そのほか北欧、南欧、東欧にもギルドの結成はみられ、13世紀以降ギルドの全盛時代を迎えた。時期的にみて先行したのは、商人ギルドで、のちに各職種別の同職ギルドが成立していく。
[寺尾 誠]
中世都市は各地方の間の交易に刺激されておこってきたから、最初に結成されたギルドは、それぞれの都市の対外的な交易の独占のためのものであった。国王や諸侯によって保証された商業の独占営業権により、他所者(よそもの)やギルドに属さぬ者との競争を避けるための団体であった。そこには遠隔地との商業を営む商人たちが加盟したが、それ以外に小売商人や手工業者も加わっている。ただし、後者はしだいに独立して同職ギルドを結成していくが、過渡期には商人ギルドと同職ギルドの両方に加盟していたこともある。そのうち都市の手工業が繁栄するにつれ、同職ギルドが独立した意味をもち、商人ギルドがかつて誇った勢力を失っていく。また小売商人さえ独自のギルドを結成するに至る。商人ギルドが盛んであったのはイギリスで、ヨーロッパ大陸はそれほどではない。
[寺尾 誠]
14、15世紀は都市手工業者の黄金時代として各職種別のギルド(工匠(クラフト)ギルド)が結成された。それは親方、職人、徒弟という身分制の手工業経営の経済的利害を守るとともに、それらの人々の社会生活、宗教生活の相互扶助をも目的としていた。もっとも重要な経済政策は、手工業者を外部からの競争からだけではなく、仲間同士のそれからも守るためのものであった。各成員が加盟にあたり守ることを誓う誓約条項には、技術や労働時間、製品価格や賃金などの規定、仕事場における生産手段や従事者の数の制限、品質検査、職人・徒弟の修業のための制度などが詳しく盛られ、それへの違反に対しては裁判や処罰の権限が都市当局によりギルドに認められていた。なお都市当局との関係は個々に異なるが、商人などの都市貴族が有力な勢力であるところでは、14世紀に同職ギルドの連帯によるツンフト革命が試みられ、場合によると都市当局の交代が実現した。また、これと並行して、中世後半の人口減少による市場の縮小のため、同職ギルドの完全成員権をもつ親方層が、徒弟期間の延長や職人が親方になる資格を得るための親方試作品masterpieceの要求の引上げ、親方になるときに支払わなければならぬギルド加盟金の値上げを実施した。このため職人たちはしだいに相互扶助や経済的利害の防衛を目的として結社をつくって対抗した。こうした職人団体は「職人ギルド」ともよばれる。
古い商人ギルドも、雑貨商、毛織物商、呉服商、ぶどう酒商、小売商、油商、塩商などに分化し、同職(工匠)ギルドも、パン屋、魚屋、肉屋、粉屋、果実商、靴屋、鍛冶(かじ)屋、皮革業者、仕立屋、指物師、大工、石工、左官、車大工、船大工、床屋、風呂(ふろ)屋、金細工師、画工、運送屋、園芸師、ブドウ栽培業者、ぶどう酒醸造業者、ビール醸造業者など多種の分化を遂げる。そのほか、宗教的ギルドと世俗的ギルドの分け方もある。
[寺尾 誠]
完全な成員権をもつのは、身分制の家政経営の長である親方層であり、それも加盟成員の承認と加盟希望者の誓約により効力あるものとされる。後世になると親方数が制限されたり、親方資格の入手が困難にされた。ただし親方に雇用されている職人やそこで教育されている徒弟も、ギルド制度の下に置かれており、彼らの労働条件はもちろん、社会生活、宗教生活もギルドに規制されていた。親方、職人、徒弟の家族も同様である。
なおギルドは、長老や参審員、執事などの役員を選出し、事業の遂行を任せたが、成員権をもつ者の集会を定期的に開き、役員の選出のほか、誓約条項の改正、新規加盟の承認、冠婚葬祭などの相互扶助を審議する。なお、成員は加盟金以外に年々の会費や礼拝用のろうそくなどを納入しなければならない。仲間の病気、死亡、不幸などに対しての相互扶助はもちろん、ギルド成員以外の者への慈善、都市のさまざまな施設への寄付、成員の宴会など、多様な活動が行われた。
[寺尾 誠]
すべての都市にギルドが組織されたわけではない。中世の後半以来中世都市に対抗して成立していった農村の小都市や市場町においては、商人も手工業者もギルドを結成しない場合が多い。彼らは、ギルドが都市当局に周辺の農村での商工業を禁止したり制限する独占政策をとらせたのに反対し、むしろ自由に競争しあう形で、より新しい市場経済を志向したからである。この背景には、ギルド成員の親方たちの伝統的な技術に対し、農村都市の手工業者たちの技術は水車の利用をはじめとする、より進んだものだったことがある。なお、16世紀以降に絶対王政の重商主義政策のなかで、これらのより自由な、ギルド規制の外にたつ手工業経営を、中世的な市場やギルドの制度に組み込もうと試みられたが、それにもかかわらず、17、18世紀と都市のギルドの影響力は衰えていった。
ただし、この過程は国々により異なる。最終的には19世紀前半に廃止されたとはいえ、農村の側の自由な経済がいち早く圧倒していったイギリスに対し、フランスでは絶対王政の政策がある程度効力をもたらし、18世紀末のフランス革命で、営業の自由とギルド制の廃止が決定された。ドイツは中世都市の影響力がもっとも強く、1869年ようやく全国的な営業の自由の確立によって、ギルド制の長い歴史が終わった。
[寺尾 誠]
『高村象平著『西洋経済史』(1971・有斐閣)』▽『伊藤榮著『西洋中世都市とギルドの研究』(1968・弘文堂)』
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商品経済が発生した11~12世紀から近代資本制生産が成立する18~19世紀までの西欧諸都市において,商工業者間に結成された各種の職業別組合。国内市場の欠如,地方的小商品生産,小規模商品需要に対応する,同業者の共存共栄的団結が本質。それぞれ組合規約とその監督維持機構を有した。特に手工業ギルド(craft gild[英],Zunft[ドイツ])は,組合員の労働時間や製品の品質,規格,製造工程,価格などを厳しく取り決め,自由競争,個人的注文取引,農村での,あるいは非組合員の商品生産などを禁止した。また,徒弟,職人,親方の階層的構成をとった(親方のみが組合員)。都市成立の基礎をなした大商人(遠隔地商人)のギルド(gild merchant[英],Zunft[ドイツ])が,市参事会の主体となって市政を壟断(ろうだん)した。これに対し13~14世紀にツンフト闘争が諸都市に展開され(ことにフランデレン,北イタリア),手工業者,小商人の市政参加が実現した。中世末以降,農村工業の展開に対抗して閉鎖的な特権団体に転化し,しだいに形骸化した。
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[社会構造]
家を起点とするアンシャン・レジーム社会は,さまざまな地縁的・職能的結合の網の目によって覆われていた。村落共同体や同職ギルドは,そのよく知られている例だが,これらの団体はそれぞれ法的地位を付与されて〈社団corps〉を形成する。このような多種多様な社団的結合に立脚しているところに,アンシャン・レジーム社会の特質があった。…
…【小林 襄治】
【労働運動】
産業革命がフランス革命期の政治反動と同時に進行し,労働者が階級的被差別の状態におかれたことから,イギリス独自の労働者階級意識が生じた。他方,賃労働者の雇用・生活条件改善のための労働組合は,国家やギルドの職人保護規制が後退した18世紀,これに代わるものとして始まった。1824‐25年の団結禁止法撤廃は自由主義経済思想の勝利だったが,27年には〈ソーシャリスト(社会主義者)〉という言葉がオーエン主義の機関紙に登場し,協同とコミュニティと組合が当時の労働運動を特徴づけた。…
…コンスタンティヌスの広場と牡牛広場との間の部分の〈中央大路〉,ことに〈ラムプの家〉とよばれている建物は一日中活気に溢れ,金角湾の船着場にはさまざまの国から来た船がいかりを下ろしていた。コンスタンティノープルが商工業活動の中心であったことを示す,《市総督の書》といわれる10世紀の法令集によれば,首都住民に食料品や生活必需品を供給する各種商人ギルドのほか,絹織物職人が専門工程の職種ごとにギルドに組織され,その他亜麻布や皮革の生産にたずさわる職人,そして登記所書記,両替商,貴金属細工職人までがそれぞれのギルドに組み入れられ,国家の細かい統制がこれらギルドを通して行われた。 コンスタンティノープルを訪れる外国商人は高額の関税に加えて,取扱商品,滞在条件について厳しい規制に服したが,その弛緩の端緒となったのは,1082年アレクシオス1世がノルマン人に対抗するため,艦隊援助を受ける代償としてベネチアに与えた経済的特権である。…
… ヨーロッパ中世都市は,さまざまな共同体から分離してきた市民の新しい共同団体として,多種多様な祭りと宴をもった。手工業ギルドに新規加盟する(組合員=親方となる)には,やはりエール宴を振る舞う必要があった。ギルドの語源は,古北欧語gialda(〈支払う〉の意。…
…兄弟団とは中世ヨーロッパ都市において,人と人の結びつきの根底をなしていた組織であり,歴史的には古ゲルマン時代の宗教的供犠と結びついた宴会にさかのぼるとみる者もいるが,通常は中世都市内に成立した団体をさす。兄弟団は北ドイツではギルド,オーストリアなどではツェッヒェZecheとも呼ばれ,死後の救いを確保するための宗教的行事と祭り,現世の楽しみを享受するための宴会への参加のほか,構成員の相互扶助などのためにつくられた組織である。狭義の商人ギルドや手工業ギルドはすべてこの兄弟団という範疇のなかに含まれる。…
…帝政後期には,国家の必要とする事業を営む統制団体としての性格を強め,そのため,成員は職業に拘束され,その身分,義務は世襲化されていった。古代末期のコレギウムを中世のギルドの前駆形態とみなすかどうかという問題については,ドイツ都市とイタリア都市との地域差が考慮されなければならない。ギルド【本村 凌二】。…
…ローマのコレギウムは,キリスト教の受容とともに相互扶助を行う兄弟団的結合に変わっていったとみられる。11世紀ごろロンバルディアのコモ地方にみられた石工の団体magistri commaciniは,すでに親方,職人,徒弟を擁するギルド的な組織をもち,教会建築に従事していた。マギステルを長とする石工の組織が修道院の組織を模倣したものといわれるのも,その関係によるとみられる。…
…これらは彼らの労働への報酬でもあった。商人,職人で構成されたギルドでは,職種によるギルドごとにそれぞれ特有の制服を持ち,他のギルドと明確に区別した。祭りの行列に組合員は制服を着て参加し,ギルドは仕着を着た組合〈リバリド・カンパニーliveried company〉とも呼ばれた。…
…これもいずれかといえば,一般教育,専門教育,諸能力の育成などの教育的機能を重視した規定である。【寺 昌男】
【大学の起源と歴史】
大学の起源は中世のヨーロッパにあり,教師・学生の一種のギルドに発している。〈大学〉をさすuniversity,〈教師〉をさすmasterなどの現代語は,本来は単に〈団体〉〈親方〉というギルドの用語であった。…
…15世紀に最もよく整備されたが,その後は同業組合からの圧迫,国王・貴族の保護をうける非組合員の建築家の発生,宗教改革などの影響をうけて衰退し,18世紀初めに消滅した。 中世末期の西欧では一般に,石工や大工も他の職業と同じく仕事を確保し,その質を保証するため都市ごとに同業組合trade guild(職人ギルド)を組織したが,城郭や教会堂の建築主は貴族や聖職者なので,同業組合の制約をうけず自由に石工などの工人を雇用できた。フランス,イギリスなどの教会堂は一般にこのように自由契約による工人たちによって建設され,ドイツのような広い地域にまたがる恒久的な組織は作られなかったといわれる。…
…これに反し,前近代的な身分制社会では,領主・農民関係において典型的にみられるように,人的な支配・隷属関係が経済的な生産関係と分かちがたく結びついている(領主制)。もともとは自由な誓約団体として発足した中世都市においても,初期のギルドからしてすでに商人と手工業者の間には身分上の差別があり,やがて手工業者の同職ギルド(ツンフト)がそこから分離しても,それぞれの同職ギルドの内部構造は,親方,職人,徒弟という,身分制的なものであり(徒弟制度),ここでも経済外的な共同体規制が行われていた。 身分制社会は,したがって,これを支配のシステムという意味で,権力の配分関係という見地から考察するならば,公的権力の私的な領有,より具体的には,権力の家産的把握によって特徴づけられる(家産制)。…
…労働の厳しさ,つらさは,むしろ生活の厳しさ,つらさとして意識されていたといえよう。
[ギルド職人の労働]
労働する主体の労働の対象に対する関係という点で,古代の農夫の場合と対照的な位置に立つのは手工業職人の労働である。静的な素材を,道具を手にした人間が,加工し,みずからの構想に従って物に作りあげていく手工業では,労働はもはや圧倒的な自然に従う行為ではなく,労働の対象と労働者との関係は対等である。…
※「ギルド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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