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第二次世界大戦後設けられたドイツとポーランドの国境で,オーデル川とその支流ナイセ川をつらねる線。1945年8月2日のポツダム協定で定められたが,形式上その最終的決定はのちの平和条約に委ねられた。1950年7月ドイツ民主共和国とポーランドはゲルリッツ協定でこの国境に同意し,ドイツ連邦共和国も70年12月のワルシャワ条約でこれを承認したが,最終的には東西ドイツ統一後の90年11月14日,ドイツ‐ポーランド間の条約で確認された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…ヨーロッパ中央部を北流する川。ポーランド語名はオドラOdra川。全長903km。流域はポーランド西部とドイツ東部をおおう。チェコ北部のズデーテン山地に源を発し,カルパチ山脈の峠を越えてポーランド領内にはいる。いくつかの支流を合わせつつシロンスク(シュレジエン)平原を北西に流れ,ブロツワフ(旧ブレスラウ)を貫流,モレーンの台地間を曲流しながら下る。ウィルヘルム・ピーク地方でナイセ川を,さらに右岸にワルタWarta川を合わせ,北流してオーデル湾に注ぐ。…
…69年からのSPDとFDPの新連立政権のもとで,ブラント首相とシェール外相は東方外交をもって,デタント(緊張緩和)の最前線外交を展開する。70年にはソ連およびポーランドと条約を締結,武力による紛争解決を放棄,ポーランドの西方国境線としてオーデル・ナイセ線を承認した。アデナウアーが西側諸国との和解と協力に貢献したとすれば,ブラントは東側諸国との和解と交流に努力し,この2人の首相をもって,戦後処理は完結される。…
…ポーランド名ニサNysa川。ヨーロッパ中央部を北流するオーデル川の左岸支流。チェコのイーゼル山脈南斜面(標高785m)に源を発し,やがて構造線に支配されてほぼ北流し,ウィルヘルム・ピーク地方でオーデル川に合流する。全長256km。第2次大戦後,オーデル川とこのナイセ川を連ねるオーデル・ナイセ・ラインが東ドイツとポーランドの国境線と定められた。ほとんど航行不能。上流部のラウジッツ地方には豊かな褐炭層がある。…
※「オーデルナイセ線」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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