オーデルナイセ線(読み)オーデルナイセセン(その他表記)Oder-Neisse Line

デジタル大辞泉 「オーデルナイセ線」の意味・読み・例文・類語

オーデルナイセ‐せん【オーデルナイセ線】

Oder-Neiße-Linie》第二次大戦後、1945年のポツダム協定で定められた、ドイツポーランドとの国境線。オーデル川ナイセ川以東をポーランド領とした。

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精選版 日本国語大辞典 「オーデルナイセ線」の意味・読み・例文・類語

オーデルナイセ‐せん【オーデルナイセ線】

  1. ( オーデルナイセはOder-Neisse ) オーデル川およびその支流ナイセ川によって構成される線。ポツダム会議において第二次世界大戦後のドイツの東側境界線とされた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オーデルナイセ線」の意味・わかりやすい解説

オーデル=ナイセ線
オーデル=ナイセせん
Oder-Neisse Line

オーデル川とナイセ川を境とするポーランドとドイツ国境線。 1943年のテヘラン会議カーゾン線をポーランドの東部国境線とすることについて,非公式の合意ができたあと,45年8月のポツダム協定は,対ドイツ講和条約成立までの暫定的措置として,オーデル=ナイセ線をポーランドの西部国境線とすることを表明した。次いで 50年6月にポーランドと東ドイツはゲルリッツ条約を結び,東ドイツはオーデル=ナイセ線による国境画定を承認した。このため,ポーランドはその 18万 km2にわたる東部領土ソ連に譲り (ソ連との国境条約は 1945年8月に結ばれた) ,その代りに 10万 3000km2の旧ドイツ領を得たわけで,ポーランドの領土は全体的に西に移動した。これについて,西ドイツ政府は不満をもち,非承認の立場を取り続けてきた。しかし,69年の W.ブラント政権発足後,西ドイツ政府はオーデル=ナイセ線承認の方向に傾き,70年の西ドイツ=ポーランド交渉の結果,両国関係正常化に関する条約が同年 12月7日に結ばれ,この時点で国家としての東ドイツの存在を承認し,オーデル=ナイセ線の事実上の承認を基礎に,ポーランドとの和解を実現させた。 89年 11月「ベルリンの壁」崩壊後,ドイツ国民の間からオーデル=ナイセ国境線の見直し要求が強まったため,ポーランドの警戒心をやわらげ,ドイツ統一を円滑に進める目的から東西ドイツの議会が 90年6月 21日にオーデル=ナイセ線を国境として最終的に承認した。これを受けて同年 11月 14日にドイツ・ポーランド両国外相が独ポ国境画定条約に調印したことで最終的な決着をみた。

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百科事典マイペディア 「オーデルナイセ線」の意味・わかりやすい解説

オーデル・ナイセ線【オーデルナイセせん】

1945年のポツダム協定で暫定的に設けられたドイツとポーランドの分轄線で,オーデル川とその支流ナイセ川を連ねる線で,長く東西対立の一因となった。1950年東独・ポーランド間にこれを最終的国境線とする協定が締結されたが,西独・英・米・仏諸国はこの協定を認めなかった。その後1970年西独もこれを承認。1990年のドイツ統一後,この線を将来にわたって国境線とすることが確認された。→ポツダム会談
→関連項目独ソ武力不行使条約

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「オーデルナイセ線」の解説

オーデル‐ナイセ線(オーデル‐ナイセせん)
Oder-Neiße Linie

第二次世界大戦後設けられたドイツとポーランドの国境で,オーデル川とその支流ナイセ川をつらねる線。1945年8月2日のポツダム協定で定められたが,形式上その最終的決定はのちの平和条約に委ねられた。1950年7月ドイツ民主共和国とポーランドはゲルリッツ協定でこの国境に同意し,ドイツ連邦共和国も70年12月のワルシャワ条約でこれを承認したが,最終的には東西ドイツ統一後の90年11月14日,ドイツ‐ポーランド間の条約で確認された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「オーデルナイセ線」の解説

オーデル−ナイセ線
オーデル−ナイセせん
Oder-Neiße Linie

現在のポーランドとドイツの国境線
1945年8月ポツダム協定でオーデル川とナイセ川をつらねる線がポーランドの西部国境線として暫定的に決められ,10万3000㎢の旧ドイツ領が編入された。1950年東ドイツがこれを承認,西ドイツは反発したが,70年西ドイツ・ポーランドの国交正常化で事実上この国境線が承認された。

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世界大百科事典(旧版)内のオーデルナイセ線の言及

【オーデル[川]】より

…ヨーロッパ中央部を北流する川。ポーランド語名はオドラOdra川。全長903km。流域はポーランド西部とドイツ東部をおおう。チェコ北部のズデーテン山地に源を発し,カルパチ山脈の峠を越えてポーランド領内にはいる。いくつかの支流を合わせつつシロンスク(シュレジエン)平原を北西に流れ,ブロツワフ(旧ブレスラウ)を貫流,モレーンの台地間を曲流しながら下る。ウィルヘルム・ピーク地方でナイセ川を,さらに右岸にワルタWarta川を合わせ,北流してオーデル湾に注ぐ。…

【ドイツ連邦共和国】より

…69年からのSPDとFDPの新連立政権のもとで,ブラント首相とシェール外相は東方外交をもって,デタント(緊張緩和)の最前線外交を展開する。70年にはソ連およびポーランドと条約を締結,武力による紛争解決を放棄,ポーランドの西方国境線としてオーデル・ナイセ線を承認した。アデナウアーが西側諸国との和解と協力に貢献したとすれば,ブラントは東側諸国との和解と交流に努力し,この2人の首相をもって,戦後処理は完結される。…

【ナイセ[川]】より

…ポーランド名ニサNysa川。ヨーロッパ中央部を北流するオーデル川の左岸支流。チェコのイーゼル山脈南斜面(標高785m)に源を発し,やがて構造線に支配されてほぼ北流し,ウィルヘルム・ピーク地方でオーデル川に合流する。全長256km。第2次大戦後,オーデル川とこのナイセ川を連ねるオーデル・ナイセ・ラインが東ドイツとポーランドの国境線と定められた。ほとんど航行不能。上流部のラウジッツ地方には豊かな褐炭層がある。…

※「オーデルナイセ線」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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